【読後感想文】重田園江『統治の抗争史:フーコー講義 1978–79』勁草書房, 2018.

全体に関する感想

2020年8月29日に開催された「精神医療と社会学」読書会*1に参加して『統治の抗争史』を読む機会を得た。 約500頁に渡って詳細な議論が繰り広げられる本書を一人で読む自信はなかったので、他の参加者の方々と読むことができたのは幸いであった。

フーコーを通じて近代思想史を読みなおすと、思想家にとって著述するとはこのような概念闘争に参入することにほかならないことを理解できる。本書で取り上げた多くの思想家において、一つの語に複数の意味が込められ、あるいは錯綜したやり方で用例が混在するのは、こうしたことの霊障である。(484頁)

「おわりに」で著者は以上のように述べている。本書で描かれたのは、知への意志に駆り立てられた思想家たちの概念闘争の歴史であるともいえよう。その闘争の中で、或る思想や概念は生き残り、他の思想や概念たちは挫折してゆく。とはいえ、それが闘争の歴史である以上、それぞれの概念たちは単なる空想ではなく、それ自体で現実へ向かう実在的な可能性たちの戦いであった。それらのことが著者やフーコーによって示されるということは、我々にとっての現在を未来に向けて変革してゆくため指針を与えてくれることにもなるだろう。

本書の内容に関して具体的に見るならば、フーコーが自身の講義のなかで最後に取り上げ、そして本書のなかでも最終章に位置づけられたトピック、すなわち「市民社会」こそが変革の場となるように思う。第III部では、穀物ポリスとそれに対立する穀物自由化論者の議論と、その自由化の流れのなかで人口がホモ・エコノミクスとして捉えなおされる。そのように形作られた経済的領域は自律的な自然的対象として、直接に統治の対象になり得ないものとなってゆく。

経済は社会に豊かさと活力をもたらすエネルギーの源でありながら、同時に社会的絆を脅かしもする。これ以降、両者の軋轢を調整することが統治のテクノロジーの主要な目的となる。市民社会の領域とは生政治の領域であり、経済の動態や発展を妨害することなく社会の分裂と破壊を防ぐことこそ、十八世紀末以降、統治の基本的な役割となるのである。(480頁)

自由主義の風潮のなかで、統治は、経済に対して直接なされるのではなく、自律的に展開してゆく経済をうまく作動させるための環境を整えるという仕方で働く。フーコーが食糧難の例をあげながら、ポリス的統治と自由主義的統治の移り変わりを論ずるとき、統治の対象が経済そのものではなく「市民社会」へと向け直されることが含意されているのである。

もちろん現実の世界はそのような綺麗な区別を拒むようなものでもある。COVID-19 に関連する経済的対策をみても、ある部分では自由主義的であり、他の部分では規律的でもあるだろう。とはいえ少なくとも、市民社会に対する政治の介入は、概して、経済に市民社会を従属させるような仕方で行われている。経済のための道具として市民社会が利用されているともいえる。フーコーと、彼のテクストを読み解く著者の議論が明らかにするのは、まさにそのようなものとして市民社会というものが登場してきたし、現在もその役割を全うし続けている、ということだろう。

逆にいえば、以上のように利用されている市民社会の在り方を自覚することこそ、変革への道標となる。市民社会は、政治的介入を許すものとして、それ自体で駆動する経済システムとは異なる論理を持つものとして導入された概念であった。経済システムと市民社会は全くの別物なのである。だとすると、市民社会が経済に従属する必然性はない。市民社会は、統治の対象として登場してきたものではあるにせよ、経済システムへの間接的な介入を可能にする道具としてではなく、それ自体の在り方を模索されうるような領域であるともいえるのである。

    

読書メモ

序章「統治性研究を位置づける」

フーコーの統治性に関する研究の出現経緯、それを主題とした講義の具体的な内容、先行研究等の紹介。78–79年に唐突に始まるように思われる統治性研究は、実際それまでの主題と全く切り離されたものではないが、本書は二年間の講義を読み解釈することに照準を定める。

第1章「統治、統治術、君主鑑」

16世紀の封建制解体と主権国家系生、そして宗教改革から生じてくる新たな形式の統治こそ、フーコーが問題にしようとしている統治である。表面上様々な変化が生じてくるこの時期の、その背後にある権力の変貌がどのようなものであったのかが問題となる。

統治は超越的な君主としてではなく「多種多様な統治の一つとして、君主は国家を統治する」(28)。魂、家族、国家の統治。とりわけ近代においては、家族の統治(エコノミー)との類比が、国家統治に対し本質的に賭けられていた。法的に禁止するより、国の物事をより良い方へと導く統治術が現れてくる。

第2章「国家理性(一)—国家理性とマキャヴェリ

中世の神から君主に至るまでの連続的な統治に対して、この断絶は1580–1650年頃における国家理性概念の登場は、国家それ自体の論理の登場を示すものとして理解される。ただし統治術に結びつく国家理性を、フーコーマキャヴェリではない所に見る。

マキャヴェリ的な人々のうちに、国家の創設や拡大よりむしろ、国家の保守のための言語としての国家理性を見出すことができる。そのような国家理性は、近代国家のうちで、現実の理解可能性の原理として様々な物事の論理へと結びつけられ、また、統制的理念として目指されるものとして機能してゆく。

第3章「国家理性(二)—クーデタと反乱」

本章では、マキャヴェリの立場に近いノーデとベイコンについて、フーコーはあえてマキャヴェリからの距離を強調し国家理性論から統治性を導き出す。ノーデのクーデタ(国家自身による法の超越)は国家のために誰かを犠牲にする司牧制として取り出される。

ベイコンの反乱(服従者が引き起こすもの)については、それを論じながら反乱を鎮圧する側へと関心を集中させる。権力は、ホッブズが述べるような闘争の終焉ではなく、反乱の抑圧という闘争状態のうちに見られることになる。こうして国家理性論は、様々な物事の一括した統治の議論へと向かってゆく。

第4章「ウェストファリア的秩序」

フーコー曰く、ウェストファリア条約を契機として「王朝間の対抗から諸国家の競合へ」の移行が生じ、国力増強のための二つの装置、一方で外交–軍事装置、他方でポリスが生み出されることとなる。ただし、当該条約に国際的競合の契機をみる解釈は近年否定されている。

とはいえ、古典主義時代において主権国家間の均衡が生じ、内政的なポリス、対外的な外交–軍事装置の誕生をみることは可能である。このような政治学上の「力」の均衡は、まさに同時代に誕生した物理学的な動力学と類比的に理解されうる。著者は、ライプニッツホッブズスピノザに言及している。

第5章「ポリス論」

フーコーの「ポリス」概念の内実については第4節で提示される。15–16Cにおいては支配が行き届いた共同体の状態がポリスと呼ばれるのに対して、17C以降は国家の秩序を維持し力を増大させるための手段の総体を指して言われることになるという。統計学はそのための道具として働く。

フーコーのポリス論は国家理性論の延長線上にあり、その分析は特に「知と権力」に置かれる。17Cポリスが対象とするのは「社会性の空間すべて」だとされ、そのような統治において、人々の共存形式や活動の全てが「国家の力」として認識され、人々のよき生と国家の目的が関連づけられることとなる。

第6章「ポリス、都市、都市計画」

ポリスの対象は都市であり、都市ゆえにポリスがあるという仕方で、ポリス化と都市化は重ね合わされて理解される。フーコーは講義でル・メートルの『首都論』、人工都市リシュリュー、ナントの改革プランを取り上げ、それぞれに特徴的な都市の捉えられ方を指摘する。

そこでは、ル・メートルの示す首都のあり方は国家の中枢としての役割をもった都市をめざす主権に関わり、リシュリューの人工都市は空間を建築化して機能的な配分を達成するような規律に関わり、ナントの都市は起こりうる出来事に備えて環境を整えるセキュリティに関わるものとして提示されている。

第7章「病と衛生」

前章の都市論と後章の人口論とを結びつける役割を果たすものとして、フーコーによる癩病・ペスト・天然痘の扱いが紹介される。それぞれの病に対する特徴的な対応をみることによって、そこから統治の三形態が取り出される。第一に、癩病は排除を基本的に排除をもって対応される。

対して、ペストは、監視や細分化、取締り、個別化といった規律によって対応される。日本での癩病の扱いは排除と規律が混じったものであったし、フーコー自身、19世紀以降これらの組み合わせによる対応が様々な場面で登場してくるという。天然痘は予防という観点から人口のセキュリティに関わってくる。

第8章「人口の誕生をめぐって(一)」

人口概念の誕生に関し、死亡率・平均余命・リスクとの関わりが紹介され、さらにペティとグラントの『死亡表』の重要性、そして人口学の創始をどこにみるかが検討される。ダニエル・ベルヌイが提示した接種の有無による平均余命の変化が大きなインパクトをもつ。

ベルヌイの平均余命の議論に対するダランベールの反論は重要である。「個人にとって、特定者である自己を保存する利益が第一である。他方国家にとっては、すべての市民は無差別に考慮される」(ダランベール, 194)。個人の観点において考慮されていた健康や寿命が、国家の観点にとってかわる。

国家の観点から人間の寿命を考察することは、そこに規則性を見出そうとする『死亡表』(1662)の登場においても見出しうる。人口学はそこから始まったとも言えるが、先立つ16Cの国家理性論者が国家の至福を語るというときにもまた、その背後には人口概念が見え隠れしているとフーコーは指摘する。

第9章「人口の誕生をめぐって(二)」

17Cの新旧論争の文脈の延長上で、古代の人口と18Cの人口を比較するヒュームの論考が現れてくることが指摘され、そこにおいて人口というテーマが良き政治や治世というものにとって重要な要素となることが明らかにされる。

論争はモオー『人口論』(1778)で一応の決着をみる。人口に関する規則性に関し、従来の『死亡表』が題目通り死亡数に着目していたのに対し、モオーは出生に注目する点で画期的であった。このとき対象になるのが生きた種としての人間である。著者はポランニーをひきつつ「人口」の内実を明らかにする。

ポランニーが描くのは、人間社会には法や統治が必ずあるというスミスの主張に対して、タウンゼントが野生動物の数の均衡のような仕方で人間社会の秩序を考えた、ということであった。人間を他動物と同等のひとつの種に沈めるアイデアがここに潜み、マルサスダーウィンに影響を与えてゆくこととなる。

第10章「確率・統計と人口」

統計や確率について、フーコーの講義からはみ出しつつ近代の新たな思考様式の登場として紹介する力の入った章。確率と人口学はセットのように見えるが、その登場から考えてみると両者は最初からひとつであったわけではない。

パスカルの確率論は基本的に賭博に関するものであった。そのような賭博的方法を人口学に組み込むためには、あらたな社会的認識が出てくる必要がある。結局、ケトレ統計学を契機として人口データと確率の関係は切り離せないものとなっていく。つまり人口学と確率は歴史的に「合流」してきたのである。

第11章「食糧難と穀物ポリス」

規律による直接的な統治ではなく、人口という自然的で不確定な要素を組み込んだ上で、それを環境を介して操作するという新たな統治のテクノロジー登場を説明する過程の一事例として食料難が取り上げられる。食糧難は単なる飢饉ではなく、政治的なものとして理解される。

食糧難に対する政治的介入は「穀物ポリス」の仕事であった。自由化論者と対比的に、ポリスは監視や強制という手段で介入を行なっていく。ただし、単に合理的な経済活動を理由として監視や処罰を行うというより、むしろ「モラルエコノミー」の守護者として人間の悪徳的貪欲を監視する存在でもあった。

第12章「穀物自由化論」

18C中頃の穀物取引の自由化論争のうちに、新たな統治のテクノロジー登場を表すエピソードの一つとして理解される。元来、人々は政府はポリスを通じて穀物取引を規制してきたのであったが、自由化論者チュルゴーは、小麦の流通を活発にするために商業活動を奨励する。

チュルゴーは現実の政治の機微を理解して、食糧難が人々の偏見や迷信によって生じるものだとしても、その影響を重視し民衆を安心させる措置を講ずるような政策をとる。民衆はポリス規制の方に公正な取引の安心を感じていたが、そこに自由を組み込んで新たな統治の形を提示したのがチュルゴーであった。

第13章「フーコーによる自由主義の解釈」

市場は古くからあったが、それは付与された特権の場としてであった。自由主義の登場は、市場をそれ自体が自然的・自体的なメカニズムとして捉え返すことを可能にするのであり、そこでのアクターとして、それまでの人民概念から切り離された「人口」が現れる。

ホモ・エコノミクスとして理解された人口もまた、善悪の基準に基づく道徳的共同体の臣民ではなく、真偽の基準に基づく自然的対象として考察されることとなる。欲望を唯一の行為原則とする人口に対して、従来の強制による介入ではなく、それを誘導するような自由主義的な統治の技術がここで必要となる。

第14章「ホモ・エコノミクス

本章前半ではホモ・エコノミクスとしての人口が、利益や情念といった概念からいかにして生じてきたのか、後半では功利主義と規律、自由主義の関係が明らかにされる。政治思想史が明らかにした経済社会の出現の中心的概念が「利益」であった。

ハーシュマン『情念の政治経済学』によれば、利益概念は情念論に端を発するものである。フーコーは、イギリス経験論における「自己利益が正義をつくる」という、理性より情念に基づく主体的な契約のあり方に注目する。個人の利益の多側面にわたる不透明性は見えざる手の自由主義へと結びついてゆく。

第15章「統治とエコノミー」

アーレントが指摘するような私的でも公的でもないような新たな領域の誕生、そして近代以降に「政治経済学」という矛盾した要素を組み合わせたような用語が現れる事態、これらの端緒がどこにあるのかを明らかにする章。とにかくエコノミー概念の変遷は錯綜を極めている。

国家の統治と家の統治を類比的に捉えることは、ボダンやベイコンにおいて既になされていたが、「政治経済」の語をセットで使用した最初の人物としてはテュルケが挙げられている。また18C半ば以降に浸透してゆく政治経済学の用例と、ルソーのエコノミーポリティーク論の距離についても触れられている。

第16章「市民社会

18Cのレッセ・フェール的主張がその登場を示したような経済主体的な人口は、法的な仕方で統治されうるものではなく、統治の変容の必要性を迫るものであった。そうして統治技術が生み出した対象が市民社会であり、経済を邪魔しない仕方で社会の分断を防ぐことが統治の役割となる。

市民社会の誕生を、フーコーはファーガスン『市民社会史』(1767)に見出す。societas civilis に連なる術語は、古代ローマから17Cに至るまで用法は様々だが、基本的に政治社会と同義的なものとして理解されてきた。法–政治、経済と区別された市民社会の出現こそ生政治誕生を徴す出来事であった。

「おわりに—哲学と歴史について」

フーコーが統治性を主題とした講義のなかで描き出したのは、ぶつかり合う言説同士の闘争の歴史であった。それこそ「知への意志」と呼ばれるものであり、そのような概念闘争への参入こそが思想家が思想家たる由縁でもある。

複雑な歴史の再構成が謎を顕にし、それを解きほぐそうとする努力の中で、問いは以前とは違うものへと変貌してゆく。問いのステージを移行させる作業という点において、フーコーは、題材もアプローチも変わっていたとしても、哲学をしていたといえる。新たな問いのステージは新たな闘争を可能にする。

*1:この記事で書かれている感想は読書会での議論に拠っています。読書会のHPはこちら→ https://psy-soc.web.wox.cc/