わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

【旅行記】南知多町〜知多市の佐布里池梅林(2024/2/23–24)

冬と春の間、少し風が強まるこの季節に梅見に行くことが、最近10年くらいかけて習慣になってきている。梅林に近づくと、春を待ち望む気分と、まだ肌寒い気温の間に滑り込むようにして梅の香りが漂ってくる。鮮やかな黄緑色のメジロ梅の花の蜜を啜っているのを見ては美味しそうだと思う。私にもクチバシがあったなら。

関東圏の有名な梅林には概ね行き尽くしてしまったので、今年は少し遠出してみることにした。どこに行こうかとネット上を彷徨っていたら、愛知県知多市に〈佐布里池梅林〉という場所があることを知った。さまざまな場所で「梅まつり」が開催されているが、ここの公式ホームページはとりわけ凝っていて見やすい作りだった。宣伝に力を入れているということは、現地もきっと盛り上がっている。そのように想像して、一泊二日で〈佐布里池梅林〉に行くことに決めた。

1日目 南知多町(内海〜羽豆岬)

初日は雨が降っていたので、梅見は2日目に回し、知多半島の先っぽを目指すことにした。東京駅から新幹線に乗って名古屋駅へ、そこから名鉄線に乗り換えて富貴駅富貴駅で乗り換えて内海駅へと向かう。内海(「うつみ」と読む)が電車で行ける限界であるが、知多半島の先端・羽豆岬まではまだけっこうな距離がある。

内海駅で降りる人はほとんどいなかった。駅の改札を出てみると、数人の外国からきた若者たちが何かを待っていた(バス?タクシー?)。それ以外に人の様子はなかった。駅からは南知多を右回り・左回りそれぞれの方向で一周するバスが定期的に出ていて、これに乗れば羽豆岬まで連れて行ってもらうことができる。バスの時間まで30分ほどあったので、近場を歩いてみることにした。

民家と柑橘類の実る木々が交互に視界に入ってくるような街。ブラブラ歩いていたら、「南知多町名誉町民 哲学者 梅原猛先生 本家 →」と書かれた看板が突然立っていた。私は哲学を研究している人間なので、さすがに「哲学者」と言われたら見に行かざるを得ない。覗いてみると多少乱雑に伸びた生垣の向こうに立派な家が立ち、梅原猛の略歴が書かれた看板なども設置されていた。いつか私が梅原猛に言及することが——おそらく無いが——あるならば、またここのことを思い出すだろう。

バス停に戻り、左回りのバスに乗って40分ほどで羽豆岬すぐ手前にある師崎港に到着した。この港からは近くの離島や鳥羽などに向けてフェリーが出ていてることもあり、それなりに賑わっていた。私の目的は羽豆岬なので、フェリー乗り場を横目に、羽豆神社の石段を登っていく。正月に立てられたのであろう真新しい幟や、綺麗なしめ縄で飾られていた。羽豆神社には展望台も設けられていて、ここから岬や岬の先に広がる海を眺めることができる。岩場で海鵜たちが休んでいる光景をしばらく眺めたあと、登った石段を再び降りて、岬の輪郭をなぞるように散歩してみた。道路も整備されて歩きやすい。森を抜けた先に海が広がるような岬も冒険のようで楽しいが、こうした人工的な岬も悪くはない。

一通り歩いてバスに乗って内海の方へと戻る(当然だが今度は右回りのバスに乗る)。「いち豆」という内海海岸近くの旅館に宿を取っていたので、適当なところでバスを降りて、歩いて宿に向かった。チェックイン前に少し浜辺を歩いておこうと思って、宿前にある浜辺への階段を降りてみると、堤防が目についた。私はどうやら「先っぽ」というものが好きらしい。100メートルほどある堤防の先まで歩きたくなってしまった。堤防の両脇は当たり前だが海になっていて、この日は風も強かったので堤防の地面に波が時折かぶさっていた。歩を進めるにつれて強くなる風。自然と身をかがめて風に飛ばされないように用心しながら歩く。先っぽまで10メートルくらいというところまで来て、あまりの風の強さに怖くなってきて引き返すことにした。進むのが怖いということは、戻るのも怖いということだ。(死んじゃうかも!)と思いながら、歩いて来た道を慎重に戻り、宿にチェックインした。

「いち豆」という宿は、事前に少し調べたところでは、10年ほど前に食事や温泉の偽装などで問題になったことがある宿であった。「まあそういうこともあるだろう」という軽い気持ちで偽装問題を受け止めて宿泊することにしたのだが、結果的に概して気持ちの良い宿だったと思う。4階の部屋からは海がよく見えた。実は真下に海の家が何軒か立っていて、いささか下品な看板も窓から見えるのだけれども、部屋の座椅子に腰を下ろして外を眺めるとちょうど看板が見えない角度になって、海とヤシの木だけが目に入る。西陽が部屋に差し込む時間などは、海がキラキラと光っていて、ランボーが言う「永遠」ってこんな感じかなと思いながらボンヤリと過ごした。(食事について特筆すべきことは特にないが、ジュースやコーヒーなどが飲み放題で置いてあったのは、嬉しかった)。

2日目 知多市(佐布里池梅林〜岡田)

雨雲もすっかり去って、気持ちの良い朝を迎えた。内海駅に戻り、そこから佐布里池梅林の最寄りである名鉄常滑線朝倉駅へと向かう。富貴駅太田川駅で乗り換えて、1時間ほどで朝倉駅に辿り着くことができた。駅から梅林までは少し距離があるので、バスに乗って移動する。東京の郊外と似たような街並みを進んでいくと「梅まつり」と書かれたピンク色の幟がいくつも立っていて、その向こうには梅の木が見えた。運転手さんに促されてバスを降りると、ほのかに梅の香りが漂っていた。

佐布里池というのは、この土地の治水のために作られた人工池だということである。池の周りには「この池はあぶないよ」と言う可愛い河童の絵の看板がいくつか立てられていた(河童の良心と本能のせめぎ合いを感じる)。そもそもこの土地には明治期から梅が植えられていたらしいのだが、佐布里池の開発で大部分が沈んでしまい、そのあと再び池の周りに植林したという経緯があるそうだ。

梅林の入り口付近には「梅の館」と呼ばれる施設が建っていた。梅まつり期間中は、ここでイベントが行われたり売店が出たりしている。レストランも併設されていて、さすが梅まつりの宣伝に力が入っていただけあると感心した。他にも出店やキッチンカーがたくさん来ていて、観光客と彼らが連れて来てた犬で賑わっていた。これまで行ったどの梅林よりも盛り上がっていたように思う。

綺麗に整備された道が小高い山へと続いていて、梅の間を歩くことができる。今年は暖かかったこともあり、すでに見ごろを少し過ぎて散り始めていたが、まだまだ楽しむことができた。梅の木に近づいて見てみると、普通の梅とは少し花弁の様子が異なっていて、一枚一枚の先が尖っているように見えた。通常はもう少し丸い。調べてみると、このあたりの梅は「佐布里梅」という特有の品種らしい。明治初期に鰐部亀蔵が桃の木に梅を接木することで生み出したものだという。接木の神秘を感じる。

一通り梅を楽しんだあと、近くに木綿の名産地として知られる岡田という地区があると言うので、歩いて行ってみることにした。少し分かりづらいが、佐布里池から岡田に向かう道には「岡田街道」という看板が立っていて、30分ほど歩くと辿り着く。畑と畑の間に敷かれた細い道を歩いていくと、やがて大きなおかき屋さんの看板が見えてくる。このあたりが岡田地区である。

岡田の街並みを歩くのも楽しそうだったが、疲れたので、近くの SoN Coffee というカフェに入ることにした(となりはレストランになっていて食事もできる)。古民家をリノベーションしてできたお店で、若い人たちで賑わっていた。マイクロブリュワリーも備えていてビールも醸造しているという。せっかくなので FIG ICHIJIKU WEIZEN を飲んでみた。愛知特産のいちじくを使った、フルーティーで苦味の少ない、爽やかな味だが軽過ぎない広がりのある、美味しいビールだった。またどこかで見つけたら飲みたい(オンラインでも購入できるらしい)。

東京に戻る新幹線を17時頃に取っていたので、ここで切り上げて名古屋に向かう。名古屋駅で駅弁を買って東京へ。1日歩いた疲れでウトウトしていたら、あっという間に東京に到着した。

総評

梅林は基本的に梅の実を収穫するためにある。だから、場所によっては「梅見」ということにはあまり力を入れていない場合も多い。それはそれで良くて、観光地化されていない梅林を歩く楽しみは格別のものがある。他方で、梅を観光資源として利用することで、大いに盛り上げている土地もある。これも楽しい。梅と人間のさまざまな関係、見方、楽しみ方がある。梅との付き合い方がたくさんあるということは、そこにさまざまな思想が生まれるということでもある。梅はそのような豊かさを具えている。

梅林を求めて知らなかった土地に行くことも楽しい。来年はどこに行こうかなと思う。来年というもの無事に訪れればいいなと思う。だから、梅のおかげで生きていると言っても、部分的には正しいことになるだろう。

また来年も梅を見に行こうと思える梅林がさまざまな場所にある。佐布里池梅林もそういった場所のひとつであった。その意味でとても良い梅見旅だったと思う。