わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

ぬか床に漬かる

蒸し暑い夜にバーでのんびりしていたら、後から入ってきた知った顔の女性が「ウチで漬けたやつ」と言いながらタッパー容器に入ったぬか漬けをバーテンダーさんに手渡していた。カウンターだけのこじんまりとしたバーで、その場のほとんどが(端の若い男女以外は)顔見知りだったこともあり、皆で「ぬか床」の話をする流れになった。

ぬか床の管理はそれほど大変ではない。野菜から出た水分をとり、定期的に上部と下部を入れ替えるようにかき混ぜてあげればよい。だが、少し旅行で家を空けたりしているといつの間にかダメになってしまったりもして、けっこう繊細なところもある。ぬか床がうまく育ってくると、最高の酒のつまみを掘り起こすことができる。

というような話を聞いた。たしかにちょっと面白そうなので、自分でもやってみたいとは思いつつも始めるにはそれなりに勇気が要りそうでもある。そんなことを思いながら、バーを後にして家路についた。相変わらず蒸し暑い夜は続いていた。

帰宅して、もうひと仕事、大学の授業準備をするためにパソコンに向かう。一日留守にしていた部屋はこもった湿度で重く沈み込んでいた。私が普段研究で用いている自室では、8架の本棚のなかで本が山積みになっている。大量の紙の束が部屋に置かれていれば、紙の束が湿度を吸い込んで、普段よりも全体の重みが増す。だから、この沈み込んだ空気というのはおそらく物理的なものなのだろう。

ぬか床のことを思い出す。定期的にかき混ぜなくてはダメになってしまうというのは、この部屋の本たちも同じかもしれない。次の日、以前から机の位置を移動させようと考えていたこともあって、机を動かすついでに本棚の本も場所を入れ替えることにした。というより、そうしないことには机を移動させることも難しい状況だったのだけど。

本棚には本が縦に入っているはずだというのはある種のドクサである。じっさいのところ、飽和量を超えた本棚では、本たちは横になる傾向があり、縦横無尽に空間が満たされていくことになる。すると、当然のことであるけれど、下の方、奥の方の本を取り出すのは難しい。本を購入した当初は「面白そうだから今度読むぞ」と思っていたものであっても、そのような暗闇に放置され続ければやがて忘れ去られてしまう。本棚の一部を頑なな顔で占めることになる。

すべての本を本棚から取り出して、別の本棚へと移動させる。その過程で、すっかり記憶から抜け落ちていた多くの本たちと再会することになった。こうやって本棚をかき混ぜる作業を、ぬか床のように頻繁にというわけではないにせよ、ある程度の期間ごとに行ったほうが良いのだろう。

本たちがぬか床だとすれば、私は野菜ということになる。今日もぬか床に漬かる。上手に漬かれば良いのだけど。