わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

エヴラームピエフ『ロシア哲学史』(水声社)読書会の記録(最終更新:2024/01/15)

書籍:イーゴリ・エヴラームピエフ『ロシア哲学史:〈絶対者〉と〈人格の生〉の相克』下里俊行・坂庭淳史・渡辺圭・小俣智史・齋須直人訳(水声社, 2022)。本の詳しい情報については水声社さんのサイトで確認できる。

時期:2022年10月27日から隔週で開催(するつもりだった)。2023年11月14日終了。

メンバー:多少の入れ替わりはありつつも、哲学や社会言語学歴史学の大学院生、芸術系のひと、会社員など。

読書会の進め方:基本的には雑談ベースでのんびり。やる気と余裕のあるひとがA4で1枚程度の内容や疑問点をまとめたものを提出し、皆でそれを検討しながら進めるている。

以下は、私(三浦)の読書会の感想ツイートをまとめたもの。読書会は現在も続いているため、今後も随時更新する予定。

2023年11月14日に読み終えた。この読書会では次に小熊英二単一民族神話の起源
〈日本人〉の自画像の系譜』(新曜社, 1995)を読むことになっている。


2022年10月27日

イーゴリ・エヴラームピエフ『ロシア哲学史』読書会を始めた。今日は第1章「ロシア哲学前史(十ー十七世紀)」を読んだ。ロシア哲学の自立的発展は18世紀後半の西洋思想受容からということであるが、それ以前から、宗教的な点でルーシの伝統的要素とキリスト教的要素の二元性が中心的であったという。


2022年11月10日

第2章「ロシアにおける哲学の誕生(18世紀)」を読んだ。フリーメーソングノーシス主義神秘主義などが大きく入り込んでいること、それと同時に啓蒙思想的な発想もあったりして、こういうところにも二元論的な雰囲気が漂っている。

大きく「理性の哲学」「信仰の哲学」「感性の哲学」という三つの枠組みが設定され、全体が整理されていく。ロシア最初のオリジナルな哲学者とみなされるのはスコヴォロダーという人だという。そのあとルソー主義を引き継ぐような感情の哲学の重要人物として、ラジーシチェフが取り上げられる。

ジーシチェフの著作『人間、その死と不死について』における三つの不死性証明のうち、連続律的な発想に基づく証明(死はある種の連続的な程度にすぎない)と、魂のヒエラルキーに基づく証明の背景には、ライプニッツ哲学があったという指摘がなされていた。どういう経緯で読まれていたのか気になる。


2022年11月24日

第3章「哲学の基本的方向性の形成(19世紀前半)」を読んだ。だんだん面白くなってきている。西側の合理主義的な調和に対する「受け入れない!」という気持ちが、全体に響いている感じが伝わる章だった。悪や苦悩をそのものとして保持する強さがある。

その一方でゲルツェンのような西欧派の人々の思想、個人の人格性の重視みたいなのも熱い。「われわれが立っているのは奈落の縁であり、しかも眺めているのはそれが崩れ落ちる様子である。黄昏がやってきているが、導きの星が一つも空にあらわれていない。われわれには、われわれ自身のうち以外に、われわれの無限な自由、われわれの不可侵の独立の自覚以外には寄るべき港が見つからないのである」(103頁で引用されたゲルツェン『向こう岸から』の一節)。


2022年12月8日

第4章「F. M. ドストエフスキーの哲学的見解」を読んだ。ドストエフスキー論として独立した著作もあるようで、かなり力の入った章だった。基本的には、信仰と不信仰、形而上学的自我と経験的自我などの、二律背反を同時に描く哲学として描き出している。

「19世紀末から20世紀初頭の圧倒的多数の思想家たちは、自分たちの哲学体系の起点として、意識的にドストエフスキーの結論を[...]受け入れた」(邦訳 p. 145)とあるように、かなりドストエフスキーの功績を重く見ているが、これをどれくらい文字通りに受け取っていいのかは難しいと感じる。

考えようによっては、ドストエフスキーというのは19世紀という時代の代弁者の一人であって、20世紀に出てくる思想というのは、ドストエフスキーを引き受けたというよりは、19世紀から大きな時代の流れの中で哲学をしたとも言えないだろうか。このあたりはもう少し考えてみたい。


2022年12月22日

第5章「L・トルストイ、N・フョードロフ、「後期」スラヴ主義者たちの宗教的・倫理的探求」を読んだ。西欧哲学をある程度受容されたのちに、そこからどのように独自の哲学にしていくかが問われているようであった。宇宙主義や統一性のような方向へ。


2023年2月2日

第6章「V・ソロヴィヨフの哲学体系」を読んだ。ソロヴィヨフからの引用。「〈神人性〉とは、まさに世界における神的完全性を実現するための人類の歴史的役割のことである。その際、人間自身の神的完成は、この過程の最後になってはじめて達成されることになるとはいえ、完全性に向かう実在的な力、実在的な目的としての〈神〉は、たえず人間に働きかけており、〈神人性〉の意味は、まさにこの力が参与しているという点にある」(エヴラームピエフ『ロシア哲学史水声社, 211頁)。自発性などを強調する点でライプニッツとは異なると書かれてはいるが、解説を読む限りではライプニッツのロシアにおける再現感が強い。じっさいモナドという語も使っているらしい。

後期ソロヴィヨフ哲学が解説されている箇所の引用。絶対者から流出してくるような世界観から、どちらかといえば、人間の歴史性によって実現されるものとしての絶対者という理念という立場への移行が論じられている。このとき経験的個人の絶対性を少なからず認めることが要請される。実存的な方向へ。


2023年2月16日

第7章「ロシアのライプニッツ主義とカント主義」を読んだ。19世紀末ごろのロシアの大学でライプニッツやカントの理論が実証主義に対して研究されて、その展開形としての哲学が出てきたことが紹介されている。ただし、著者による評価はわりと否定的であった。

ここまで読んできた感じでは、エヴラームピエフはドストエフスキー的な、人間の生と一体化した主体のあり方を語りうる哲学をロシア独自のものとして評価しようとしている。その立場からすれば、ライプニッツやカントの哲学は抽象的な実体や物自体というものに重きを置きすぎているのだろうと思う。


2023年3月2日

第8章「『キリスト教に関する論争』——V・ローザノフ」と第9章「L・シュストフの宗教的実存主義」を読み終えた。ローザノフとシェストフが扱われている箇所で、このあたりからロシア実存主義哲学が本格的に始まる。両者ともニーチェ的な態度が前面に出ていた。シェストフが形而上学はナンセンスに向かう勇気を持つべきだと述べていた。

シェストフが面白そうだったので探したら、翻訳が結構でていたので、古本で一冊注文してみた。どうやらかつて日本でも流行っていたことがあるらしい。ロシア哲学が日本で次々と翻訳されていた時代があるというのは気になる。


2023年3月30日

第10章「N・ロースキーの哲学体系」を読んだ。認識の内在性の論理に貫かれた哲学を展開していて「私」も「対象」も意識そのもののうちに内在するものとして捉えられる。対象は「私」からは超越したものでありながら、認識の過程に内在するものとされる。

こうした、内在の論理が単に認識論にとどまることなく、最終的には道徳的世界の議論にまで接続される。ある意味ではライプニッツ的世界にも近いものがあり「対象」を抽象的ロゴスのもとでみるのか、具体的ロゴスのもとで見るのかという転回に応じて、地上に神の国を打ち立てようとする。


2023年4月10日

第11章「「新しい宗教意識」とN・ベルジャーエフの哲学」を読んだ。読書会の予定がカレンダーから抜け落ちていて、メッセージが届いて気付いた。内容もちゃんと読めていなかったので、他の方々のまとめを聞いて「なるほど、なるほど」と楽しんでいた。

ベルジャーエフは〈神性〉と〈創造主としての神〉を区別して、前者に関しては無や潜在性を含み込んでいるのだと述べ、そうした無こそが真の自由の源泉になることを主張している。逆に創造主としての神は、世界を創造するとともに自らを創造し、全く現実性のうちに身を置くことで自由を失う。シェリングの「無底」の議論などに影響を受けている。ライプニッツ的な神がまさに秩序そのもののように振る舞うとすれば、底なしの神(デカルトの絶対的無限の神もそうだろうか)はそうした秩序以前のところで働いている。ベルジャーエフは、そうした神性とのつながりを人間の自由のうちにみる。


2023年7月3日

第13章「S・フランクの形而上学体系」を読んだ。久しぶりの開催だったので近況報告を楽しんだ(いろんな属性の人が参加していて面白いので、毎回3分の1の時間を最近の出来事をシェアすることに費やしている)。フランクの哲学は絶対者の自己顕現の話。

絶対者のなかので存在が自己顕現していくことで、絶対者そのものの創造的形成が行われていく。途上的な絶対者という議論が登場したのも面白いポイントだった。我々にとって裂け目として与えられる非合理性も、絶対者の超合理性のうちでの運動として捉え返されていく。フランクの著作も読んでみたい。


2023年8月14日

第14章「L・カルサーヴィンの人格の哲学」を読んだ。独特の形而上学が展開されていた。絶対者とは、相対的なものがあって初めて可能であり、そうした相対者の必要性から自らの存在を「無へと転移させる」ことで、相対的な存在を確保するという議論など。


2023年9月11日

第15章「I.イリインの形而上学的・宗教=倫理学的探求」第16章「G.シペートの現象学的哲学」を読んだ。とりわけ汎神論的ヘーゲル解釈を受けたイリイン哲学が、苦しむ神というところから私たちの世界の歴史的運動を描きだそうとする点が話題になった。


2023年10月31日

第17章「S.ブルガーコフ、P.フロレンスキー、A.ローセフの宗教と文化の哲学」を読んだ。表題前者2名は、教条的ロシア正教への服従を重視しすぎているという点でかなり厳しい言葉で書かれていた。それがいかに哲学を妨げるかを示そうとしていた。


2023年11月14日

第18章「ソビエト時代における哲学の展開」を読んだ。マルクス主義的な哲学者から、非マルクス主義的なバフチンやママルダシヴィリなどが紹介される。最後はタルコフスキーで締めるあたりも、哲学と芸術の混淆的な思想潮流をよく表していると感じる。

2022年10月27日が初回読書会で、そこから全16回で読み終えることができた。初回に参加していたメンバーが最後まで1人も脱落することなく(途中で一時的に参加してくれた方もいた)読み終えることができて、交流を主要な目的とする読書会としては大成功だったと思う。ありがとうございました。


最終更新:2024/01/15