わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

『モナドロジー』第33–35節に関する些細な(しかし重大な)事実

ライプニッツは『モナドジー』§ 33 *1において、「思考〔推論〕の真理」と「事実の真理」という二種類の真理を提示している。「シーザーがルビコン河を渡った」および「ルビコン河を渡らなかった」という命題は、現に存在するシーザーに関して言われるような事実の真理である。反対が可能であるような命題は、この世界に現に存在するシーザーを参照することではじめて真偽が確定するものである。他方「思考の真理」と呼ばれているのは、反対が不可能であるような必然的命題であるとされる。それゆえに、こちらの命題に関しては、現実に存在するものを参照することなく演繹に真偽が決定される。

以上のような真理の区別が提示される § 33 であるが、同時に、この節は書かれた順序からしても重大な意味を有している。

Robinetの注*2によれば、『モナドジー』§§ 33–35 は § 36 の後ろ部分の余白に付け足された部分だとされる。たぶんライプニッツは § 32 の後 § 36 を書いて、その後すぐに§§ 33–35 を付け足したのであろう。じっさい、§ 36 の数字は書き直されているが、§ 37 の方は特にそのような痕跡はないからである。

たしかに § 32 から直接 § 36 に飛んでみても、話の流れとしてはおかしくない。ただし、そうした場合に § 36 で突然「事実の真理」が登場することとなってしまう。これも推測になってしまうが、ライプニッツはこの説明のために § 33 で「事実の真理」と「思考の真理」をあげていると考えられる。§§ 34–35 が § 33 の補足的な説明であると考えるならば、これらはセットになって §32 と § 36 の距離を埋める役割を果たしているといえよう。

こうした事実は『モナドジー』という著作がたんに思いつきの順序で書かれたのではなく、前から後へと順を追って読むことを想定して書かれたものであることを示唆してもいる。

*1:Il y a aussi deux sortes de vérités, celles de Raisonnement et celles de Fait. Les vérités de Raisonnement sont nécessaires et leur opposé est impossible, et celles de Fait sont contingentes et leur opposé est possible. Quand une vérité est nécessaire, on en peut trouver la raison par l’analyse, la résolvant en idées et en vérités plus simples, jusqu’à ce qu’on vienne aux primitives (§ 170, 174, 189, § 280-282, § 367. Abrégé object. 3).

*2:Principes de la nature et de la grâce fondés en raison – Principes de la philosophie, ou Monadologie, éd. A. Robinet, Presses Universitaires de France, 1954, p. 88.