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CORPUS ORGANICUM

日々の雑記。

夏目漱石とキタドコ

雑記

夏目漱石の小説をときどき読む。最近は未だ読んだことのなかった『吾輩は猫である』をKindleに導入して、ちょっとした時間に読み進めている。今、ここに書こうとしているのは、その読書におけるちょっとした出会いのお話である。

吾輩は猫である』という小説は非常に有名で、誰に聞いても「名前はまだ無い」と答えてくれる。題名がまず滑稽で覚えやすい。吾輩というからには、偉そうな人物が出てきそうなものだが、偉そうな猫が出てくるのだからおかしい(こうして言葉にするとおかしみも失せてしまうのでやめておきたいが)。ところで、この小説の中に、ポツリと、いやサラリと出てくる床屋さんがある。

何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多床きたどこへ行って顔さえ剃すって貰もらやあ、そんなに人間と異ちがったところはありゃしない。人間はこう自惚うぬぼれているから困る。(青空文庫より)

この「きたどこ」という床屋さんは現在も存在している。もっとも今は美容院になっているのだが、東京大学の中でいまだに髪の毛を切り続けている。実は、夏目漱石の作品を読んでいて「きたどこ」に出会ったのは初めてではない。それは、『三四郎』のなかでも見つけることができる。

下駄の歯が鐙あぶみにはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床きたどこという髪結床かみゆいどこの職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。(青空文庫より)

正門前と書いてある。今は東京大学の前にあるのだが、どうやら昔はそうではなかったらしい。

先ほどのブログにも「キタドコに行くのが雨で憂鬱だ」と書いたのだが、私はさっきその「きたどこ」で髪を切ってきた。それで、さすがに二度も小説の中で出会ってしまっては黙っているわけにもいかず、担当のお姉さんにその話をしたのである。担当のお姉さんは、私に「きたどこ」のいろいろな歴史を教えてくれた。もともとは150年くらい前から東京大学の正門前で床屋をやっていて(今の郵便局のあたりらしい)、100年ほど前に東京大学の中に入ってきたそうだ。それで、いまは五代目になるらしいのだが、流れに乗って8年前に美容院になったという。そして、やはりというか、なるほどと思うのだが、実際昔は夏目漱石が髪の毛を切りに来ていたそうである。えらい話である。

小説の中に登場するものが現実に存在するというのは、なんとも不思議な気持ちになる。小説とは一体なんなのだろうか。あそこに描かれていることは、本当はどこかで起きていることなのではないか。「きたどこ」が実際に存在していたように、ホグワーツだってどこかに存在しているのではないか。そんなことを考えながら、髪の毛を切られていた。

いつの間にか出来上がった髪の毛は、まったく注文通りであった。現代風の坊ちゃん刈りだ。