わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

ニキビと因果

先月、とある演劇を見に行った。「怪談」という題名がつけられたその演劇は、真景累ヶ淵牡丹灯篭、そして番町皿屋敷を原案に、ある落語家が物語の世界にひきづりこまれていくという不思議な物語であった。いくつも印象的な演出があったが、その中の一つに「いんがいんがいんが…」と口々につぶやきながら、何人もの人々が主人公の周りにやってくるシーンがあった。

真景累ヶ淵は断ち切れない因果の物語である。三遊亭圓朝の処女作であり、怪談話の最高傑作の一つであろうと思う。とりわけ、「豊志賀の死」は主人公の新吉が殺しの因果に巻き込まれていく最初の段であり、純粋な新吉が最後には少しだけ罪を負う(それでもまだ序の口なのだが)。新吉は、十歳以上年が上の豊志賀と愛しあうことになるのだが、とあることがきっかけで豊志賀が顔に腫れ物をつくる。それによって、寝込んでしまう豊志賀はだんだんと卑屈になっていき、嫌になった新吉は家を飛び出すのだが、そのことを苦にした豊志賀は自ら鎌で首を切って死んでしまう。そして、遺書には「この後女房を持てば七人まではきっと取り殺すからそう思え」と残されていた。

その後、新吉と恋仲になった女性たちが次々と死んでいくのだが、その新吉のモテっぷりの方が恐ろしいというものである。

 

なぜこんなことを思い出したかというと、数日前に私の鼻の横に少し大きなニキビができたからである。これがなかなか大きくて、気になって仕方のない私はとうとう潰してしまった。すると、赤くなってどうにも目立つし、かなり大きいためばい菌が入ると一大事である。こういうときはどうしたらよいのか。現代というのは医学が進歩しているので、化膿を止める薬が存在している。薬局でドルマイシン軟膏というのを手に入れ、ちょちょっと塗ってみる。すると、1日2日ですっかり腫れも収まりもう大丈夫という雰囲気になった。

豊志賀もこの軟膏があったら、不幸にも自殺するほどのことはなかっただろうなと思う。ドルマイシン軟膏が新吉を死の因果から救い出してくれたかもしれないのだ。なんという悲劇だろうか。Les Misérablesだ。

 

ところで、私は軟膏を塗ったからニキビが治ったのだろうか。当然そのような気もするし、実は違うのではないかという気持ちにもなったりする。いや、正確には、「軟膏の有効成分によってニキビが治った」のか、「軟膏を塗ったことによってニキビをさわらなくなり治った」のか、どちらなのだろうか。ニキビは触っているうちはなかなか治らないように思うし、軟膏を塗るとネチョネチョして触りたくなくなるので、それが原因で治ったのではないかと思ったりするのだ。

そんなことを思いながら、花村太郎『思考のための文章読本』(ちくま学芸文庫、2016)をペラペラと読んでいたら、なるほどと思うことが書いてあった(この本の感想はまた今度書こうと思う)。要するに、「軟膏の有効成分がニキビの全て治した」というのと「軟膏の有効成分がニキビの全て治さなかった」というのは、同時に両方偽でありうるということである。なるほど言われてみればそうである。むしろ両立のない対立は、「軟膏の有効成分がニキビの全て治した」と「軟膏の有効成分がニキビの一部を治さなかった」との間に成り立つ。そして、そして多分「軟膏の有効成分はニキビの一部を治さなかった」のではないかと思う。

ある結果の原因は複数あっても良いのではないかと思う。この原因は何かということを探るとき、よく原因を一つに絞ろうとしてしまうが、大抵は多くの原因の結果として生じてきていることが多い。だから、結局のところニキビが治ったのはある意味、軟膏を塗って触らずにいたおかげなのだろう。もっといろんな原因があるかもしれない。早寝したとか。

新吉に課された因果も実は豊志賀の呪いだけではないのかもしれない。豊志賀の呪いだけでなくて、新吉の出生の秘密や環境なども原因に入り込んでくる。しかし、この「呪い」というのは厄介な代物で、考えようによっては全ての事象がその根拠に呪いを持つとすると、いかなる原因も全て呪いに帰されることになってしまう。物体的な因果ではない、観念的な因果はその意味で恐ろしい。それは因果と呼ぶべきものなのかわからないが、しかし新吉の観念のうちには呪いは生き生きと刻み込まれ、新吉の行動の一つ一つを変えていったかもしれないのだ。

 

ああ、なんだか怖くなってきた。私も誰かに呪われているような気がする。

今日はこの辺でおさらばしよう。