わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

哲学史の博士論文を書き終えるまでの14年(3)内面化された卑下と向き合う

※ここまでのあらすじ:大学院の存在すら知らなかった私だが、出会った人々に勧められるがままに哲学研究の道へと進むことになった。ライプニッツをテーマに卒業論文を提出し、大学院入試を終え何も知らない大学院の世界へと歩み出す。

2015年4月、私は修士課程の学生として大学院に入学した。

慣れ親しんだ母校を離れ、他大学の大学院へ進学するということは、私にとっては覚悟のいることであった。学部入試で植え付けられた偏差値による大学の「格」への意識は、そう簡単には払拭できるものではない。私が進学することになった大学院は、その「格」という点でみれば母校をはるかに上回っていた——もしこの文章を読んでいる人のうちに、当時の私とおなじような状況の人がいるなら、過度に心配する必要はないと先に伝えておきたい。ともかく入学当初の私にとっての第一の課題は、内面化された卑下——より正確には、外部の評価軸に自己判断を委ねる癖——を克服することにあったといってもよいだろう。

その年、研究室の同期は私を含め4人だった——そのうち1人は、10年後、私と同じ年度に博士論文を提出することになる。大学院では鈴木先生が指導教員となった。演習のスタイルは独特で、ライプニッツの初期の重要著作であるDe Summa Rerumドゥルーズの『襞』を隔週で交互に読むというものだった。同じ演習には、ライプニッツを研究している先輩が2人ほど参加していて、初回を終えたさいに簡単な挨拶をした。先輩に研究内容を尋ねられた私は、『哲学者の告白』をテーマにした卒論について、やや見栄を張りながら答えたことを覚えている。

内面化された卑下は、過度な見栄や外部に対する刺のようなものとして表出する。あるいは、人からの評価に対して過敏に反応してしまったりもする。入学してすぐに開かれた新入生歓迎コンパでは、周囲に低く見られないように神経を尖らせていたように思う。「こんなことも知らないのか」と思われないように話を合わせ、ときに「こんなことさえ知っている」と示したくなって、相変わらず見栄を張っていた。見栄は、相手を見下すためというより、見下されることへの恐れが先に立った結果だった。

このような状況から抜け出すきっかけが何だったのか、いま振り返ってもはっきりしない。ただ、周囲の学生や先生たちとの交流のなかで、徐々に自分の居場所を見出せたことは幸運だった。また、学外の人々との交流も精神的な支えになった。居場所を奪っていた単一の評価軸が、複数の基準のなかにほどけていったともいえる。

実際のところ私は、哲学史についても研究対象のライプニッツについても、ほとんど何も知らないという事実を痛感していた。だから修士課程のうちは、できる限り不足している知識や能力を補うことに注力しようと決めた。

まず私は、いくつかの勉強会を始めることにした——それまで読書会も勉強会も自分で開いたことがなく、これが初めての経験だった。ひとつは、ライプニッツのもっとも有名な著作『モナドジー』の勉強会であった。SNSで参加者を募ったところ、いくつかの大学から学部生・院生たちが集まってきてくれた。入門書として勧められたNicholas RescherのG.W. Leibniz's Monadology: An Edition for Studentsの該当箇所を参照しつつ、読み進めた。毎週、ある大学の一室に集まり、専門領域の異なる人々と議論しながらライプニッツ哲学について語り合う時間は、楽しいものだった。

もうひとつ強く記憶に残っているのは、大学院の同期の一人であったH君——今では立派な中世哲学の研究者となった——と一緒に始めた「個体化研究会」である。研究室の片隅の埃をかぶった一室を掃除して、そこを拠点に活動した。この勉強会では、ライプニッツ最初期の論文「個体の原理についての形而上学的討論」や、トマス・アクィナスの『存在と本質について』など、担当箇所を決めて訳を持ち寄り、哲学史上の「個体」の扱いについて勉強した。H君は個体化論を専門としていたし、何より私よりもずっとラテン語に堪能だったので、多くのことを教わった。

学外の人たちとの交流という点では、学会や研究会にできる限り出向くように心がけていたことも、さまざまな意味で私自身を助けることとなった。春と秋に開催される日本ライプニッツ協会には毎度参加した。皆が親切にさまざまなことを教えてくれた。それほど大規模な学会ではないが、むしろその規模ゆえに互いに励まし合う環境が育まれており、私にとって居心地のよい場所になった。

また哲学若手研究者フォーラムという大学院生を中心とした学会に参加したことも、学外の学生との交流を広げるきっかけになった。分野を問わず多様な研究をする学生たちが、さまざまな大学から集まる場所である。こうした場が用意されていることは、多くの学生にとって確かに救いになるのだと思う。

最初にも書いたように、修士課程1・2年目の私にとって大学院の世界は、内面化された卑下と向き合う場所だった。いかにして自分を励ますのか——それが当時の大きな問いであった。私にとって幸運だったのは、周囲の人々が驚くほど誠実で、親切であったことに尽きる。私の卑下が杞憂にすぎないことを、友人や先生たちは日々のやり取りのなかで繰り返し示してくれた。このことへの感謝は忘れることはないだろう。

こうして私は修士課程2年目に、修士論文の準備を始めることになる。とはいえ、物事はそう簡単には進まない。この話はまた別の機会にしよう。そういえば、大学院に進学してからのお金の話も、まだ書いていなかった。これは大学院を志す多くの人が心配する点でもあるし、無鉄砲な私にとっても避けては通れない課題だった。次回はこれについて書くことにする。

(続く)