わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

【読書メモ】村上恭通(編)『モノと技術の古代史 金属編』吉川弘文館, 2017

津野仁・内山敏行「武器・防具・馬具」

戦闘のなかで使われる道具にどのように金属がもたらされたかが仔細に示されている。地方に対して中央が金銅製品を配布することで支配・被支配関係を構築していたなど、興味深く思う。

田中謙「木工具」

ヤリガンナは、弥生時代後期あたりから、それまで直線的であった刃先の部分に反りが生じ、その程度や形態に多様性が出てくるという話を読んだ。道具そのものの、機能分化、機能強化、機能創造といった側面を考えると面白いし、分化した機能をまとめ上げる職人の重要性も気になる。

ライプニッツとシュタールの論争を思い出させる。シュタールは、人間身体をある種の「仕事場officina」として理解していて、そこでは職人(つまり魂)が諸々の道具を特定の目的にまとめ上げて使用することとなる。ライプニッツは、そのような職人を想定しない。いわば道具がそれ自体でまとめ上がる。

魚津知克「鉄製農具」

農耕作業に使用された鉄製刃先の考古学的考察と、道具と祭祀との関係が紹介されている。特に、祭祀の際に鍛冶工人が実際に出向いてその場で実演することで結果的に農具の画期が実現したという話に感心した。

清水康二「鏡」

奈良時代くらいまでの中国や日本の鏡について形態・製法・使用法など様々な側面から紹介している論考。鏡が展示されるときは、大抵、文様を見せるために裏面を向けられているのが他の考古資料と異なる、なるほど。

金田善敬「鉄釘の技術」

『ねじとねじ回し』(読書メモ)のときも思ったことであるが、こういった物と物とを接合する道具は、物を切削する道具とは違った面白さがある。何に何をつなげるかという想像力。