わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

平成28年1月29日に見た夢の話

不思議な夢を見たときはメモを残すことがある。平成28年1月29日の私もどうやら不思議な夢をみたらしく、午前4時10分に短いメモを残していた。少し言葉を付け足しながら、写し取ってみることにする。

 

私は電車に乗っていた。西武池袋線池袋行き急行電車。その最前車両で窓の外を眺めるように立っていた。終点池袋で衝突が起こり、くの字になる電車から人々が投げ出されていく。

私もどうやらホームに投げ出されたが、助かったようである。美しい一人の女性もまた近くに倒れていた。私は彼女を助ける。そして、一息つくと同時に「大変なことになった」と電車を見返しながら意識がすっとなくなった。何か眠くてうたた寝をしてしまったときのような、短い夢をみた。

同じホーム、めちゃくちゃになった電車の横に、上品なおじいさんが立っていた。私は、彼がこの電車の事故で亡くなったうちの一人であることを知っていた。何をしているのだろう、彼はじっと鉄の残骸を見つめていた。

ふと我にかえる。助けた女性は立ち上がってこちらを見ている。悲しそうな顔をしていた。じっと見返すと、彼女はそっと口を開いた。そしていう。「たんぱく質がくる…」。そう言って、彼女はホームの端に行くと線路に倒れこむように落ちていく。

そのとき、彼女と先ほどのおじいさんの顔が重なって一人の人だったことに気づく。この気づきと同時に、私はこの事故で死んだのが自分だったことに気づいた。「ああ、あの事故で死んだのは自分だったのだ」。女性、いやおじいさんを追うように私も線路に飛び込むと、世界は真っ暗になった。意識はあるが真っ暗な世界に私はいた。

そこは、夢であった。夢だとわかっていたのに、覚めることのできない真っ暗な闇の中にひたすら取り残されていた。

 

ということらしい。不思議な夢を見たとき、こんな不思議なことは誰も思いつかないだろうと、自分の作ったものでもないのに自画自賛する。たしかに、まったく同じ夢を思いつく人はいないだろうが、それでもだいたいみんな不思議な夢を見たりしているのだろう。人の夢の話を聞くのはけっこう好きだ。

「今日はどんな夢をみた?」から、会話を始めるような、そういう関係もなかなかいいんじゃないかと思う。それはどんな友達だろうか。