以前、当ブログの「ライプニッツ『形而上学叙説』研究会」の成果と訳」の中で公開していたテクスト情報が少し古くなっていたので、情報を追加・修正して以下に公開します。主に『形而上学叙説』を中心とした情報になっていますが、ライプニッツに興味ある方全般に役立つのではないかと思われます。追加すべき情報等があればご連絡ください。
[原典] Briefwechsel zwischen Leibniz, Arnauld und dem Landgrafen Ernst von Hessen-Rheinfels, ed. C. L. GROTEFEND, Hannover, 1846.
『叙説』はライプニッツの生前には結局未発表のままであった。19世紀の中頃にようやくグルーテフェントによって公刊されることになるが、当時はあまり注目されることはなかったらしい。たしかに、有名な「モナド」という言葉もここには登場しないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。この後、1857年に公刊されたフーシェ=ドゥ=カレーユ版というのも存在している。
[原典] Die philosophischen Schriften von G. W. Leibniz, hrsg. von C. I. Gerhardt, Weidman, 1875–1890 (Nachdr., Olms, 1978), Bd. IV, pp. 427–463.
いわゆるゲルハルト版と呼ばれるものであり、GP や G と略されることが多い。アカデミー版が出版される以前はこちらが主に参照されていた。現在でもアカデミー版未公刊のテクストに関してはこちらをよく参照する。
[原典] Sämtliche Schriften und Briefe, Akademie Verlag, 1923–, Sechste Reihe, Vierter Band, pp. 1529–1588.
いわゆるアカデミー版と呼ばれるものであり、Ak や A と略されることが多い。現在のライプニッツ研究ではこの版が基本となっている。テーマ毎に分けられた8つの系列から成り、それぞれの系列内で年代順に巻数が割り振られている(例えば、第6系列の第4巻であれば A VI, 4 などと略される)。系列は次のようになっている。
とはいえ、未公刊のテクストも多く、後期哲学関連のテクストのほとんどがまだ公刊されていない。ただし有名な後期著作である『人間知性新論』 だけは、諸事情(いろいろあるらしい)により、すでに公刊されている。『叙説』に関しては、ゲルハルト版がライプニッツも目を通したとされる写本をもとにしている一方で、アカデミー版はライプニッツ自身の手稿をもとにしている。アカデミー版にはゲルハルト版やほかの写本などとの異同が示されており、詳細な読解を目的とする場合には、まずこの版を見るべきであろう。
[原典] Discours de métaphysique suivi de Monadologie et autres textes, éd. M. Fichant, Gallimard, 2004.
研究者はアカデミー版を見るべきかもしれないが、異同まで気にせず読むのであれば、この Fichant 版が良いと思う。ありがたいことに『モナドロジー』や他の関係テクストも一緒に収録されており、ライプニッツの基本的なテクストをおさえている。さらに、この本の最初に附された長い(130頁くらいある)イントロダクションは、ライプニッツ形而上学の中期から後期にかけての連続と断絶を論ずるさいによく引用される箇所であり、重要な文献である。注も充実しており、ペーパーバックで安いので、一冊持っておくのにはおすすめ。
[原典] Discours de métaphysique, correspondance, éd. C. Leduc, Vrin, 2016.
この版のありがたいところは、左右余白にアカデミー版のページ数が附されているという点である。最近の論文での引用を手軽にたしかめることができる。また、「ライプニッツ-アルノー往復書簡」も収録されている点は重要である。この書簡は『叙説』をめぐるさまざまな問題に関するものであり、両テクストを合わせて読むことで『叙説』の理解が深まることは確かであろう。あと、これは本質的なことではないかもしれないが、紙質が(多少だけど)良いので破ける心配がないのも嬉しい。
[翻訳] 『形而上学叙説』, 河野与一訳, 岩波文庫, 1950.
日本におけるライプニッツ研究の歴史は古いが、その中でも彼の翻訳業は極めて重要な意味を持っているだろう。岩波文庫に入ったのは1950年であるが、1925年に哲学古典叢書として岩波書店から出版されていたものを改訳したのが、この訳である。解説を見ると、大正12年(1923)の夏から翻訳に着手したとある。哲学分野においては日本最古の学術雑誌『哲学雑誌』(『哲学会雑誌』から改名)の1916年の巻には——これはライプニッツ没200周年の記念シンポジウムの記録なのだが——諸氏によるライプニッツの論考が発表されており、桑木厳翼氏や井上哲次郎氏、田辺元氏、西田幾多郎氏など当時の主要な顔ぶれがライプニッツに注目していたことがわかる。そんな空気の中でこの邦訳が出たのはある意味必然であったかもしれないが、それにしても、今読んでも勉強になる訳である。ただし、現在はちょっと手に入りづらいのと、旧字体で読みづらいなどの理由で、あまりおすすめはしていない。
[翻訳]『モナドロジー・形而上学叙説』, 清水富雄・竹田篤司・飯塚勝久訳, 中公クラシックス, 2005.
『叙説』の部分は清水・飯塚訳である。この翻訳は、1969年の『世界の名著 25』およびそのソフトカバー版『世界の名著 30』(1980)をそのまま持ってきたものである。実は『世界の名著』ではスピノザと一緒に収録されており、ライプニッツ著作を『エチカ』とともに読める優れもの(?)であった。それが中公クラシックス版ではライプニッツ著作だけになってしまい、ちょっと残念ではある。全体的に(特に『モナドロジー』は)すこし訳が緩めではあるが、手に入りやすさと、『モナドロジー』も一緒に収録している点で、彼の著作をとりあえず何か読んでみたいという方にはおすすめの一冊である。
[翻訳]『ライプニッツ著作集』全10巻, 下村寅太郎 山本信 中村幸四郎 原亨吾監修, 工作舎, 1988–1999.
工作舎さん及び同社の十川さんによる偉大な仕事のひとつ。第8巻に西谷裕作氏の翻訳で『叙説』が収録されている。全10巻の構成は以下のとおり。
世界的に見てもこれだけのライプニッツ著作がシリーズとして翻訳出版されているのは珍しいことである。少しお値段が張るので個人で所有するにはつらいかもしれないが、持っておいて損はない。『弁神論』の全訳を日本語で読めるのは、今のところ、この著作集だけである。著作集第II期の完結を機に、この第I期も新装版で復刊された。
[翻訳]『ライプニッツ著作集 第II期』全3巻, 酒井潔 佐々木能章監修, 工作舎, 2015–2018.
これもまた、工作舎さん及び同社の十川さんによる偉大な仕事のひとつ。膨大にあるライプニッツ著作のなかには、第I期著作集では翻訳されなかった重要著作がまだまだ残っていた。この第II期では、前回扱われなかった分野にテーマを絞り翻訳が行われた。以下の通りである。
とくに哲学書簡の巻には当時の王妃たちとの書簡が収録されており、そこで自らの哲学を解説するライプニッツは、我々の理解を助けてくれることであろう。ちなみに、工作舎のサイトで公開されている「ライプニッツ通信」は面白いのでおすすめ。
[翻訳] 『形而上学叙説・ライプニッツ-アルノー往復書簡』, 橋本由美子監訳 秋保亘 大矢宗太朗訳, 平凡社ライブラリー, 2013.
個人的なことであるが、私に哲学を教えてくれた橋本由美子先生が監訳したものである。そのような個人的な思い入れもあるが、日本語として優れているとの評価を人々から聞くので、客観的にみても良い翻訳なのだろう。さらに、この訳書の良さとして強調したいのは、『叙説』と「ライプニッツ-アルノー往復書簡」の対応関係を明確に示している点である。『叙説』の本文中に書簡の対応頁数を、書簡の本文中に『叙説』の対応節番号を挿入することによって相互の連関が示され、どちらの著作もこれまでとは違った様相を呈している。手に入りやすさ、値段、そして訳の親切さなど、どの点をとっても私はこの翻訳を人々におすすめしたい。
[原典および注釈] P. Burgelin, Commentaire du Discours de Métaphysique de Leibniz, PUF, 1959.
『叙説』の注釈書である。節ごとに長いコメントをつけているものというのは、実はけっこう珍しく、研究会ではかなり重宝した。ただし引用の仕方が雑なので原典を参照しようとするとなかなか難しかったりと、難ありな研究書ではある。とはいえ、『叙説』という濃縮されたテクストを読む上で、まず解凍作業が必要であり、そのさいには丁寧に他のテクストに関連付けながら解説してくれているこのような注釈書は、大変参考になるのである。
[翻訳および注釈] Gonzalo Rodriguez-pereyra, Leibniz: Discourse on Metaphysics (Leibniz from Oxford), OUP, 2020.
最新の『叙説』に関する翻訳および注釈書。最近はじまったシリーズ Leibniz from Oxford に収録されており、現時点では、他にも『結合法論』の全訳が公刊予定となっている(2020年4月5日現在)。本巻では、『叙説』の各節に対してかなりの分量の注釈が施されており、読解に役立つのではないかと予想される。私の方でもこれから検討してゆく。