すし天ぷら蕎麦、哲学

日々の雑記。

障子とカーテンとアイマスクの話

ちょっと前まで私は障子に対するちょっとした文句を抱えていた。私が寝起きする部屋は和室であり、それゆえに、これは当然のことであるが、窓から差し込む光を遮る役割を果たすものとして、障子があてられている。もう長いこと張り替えていない障子は、もうすっかりボロボロで、それは、太陽から発せられる強烈なエネルギーを表現してもいる。

ところで、一般に、窓際で太陽光を遮るために働くものといえば、もうひとつカーテンがある。カーテンはすごい。何重かに重ねられた布は太陽の光をほとんど通さない。だが、私の枕元にあるのは、障子なのだ。残念ながら。朝方、有無を言わせぬ惑星が我々の星を照らし、圧倒的な力で、我々の閉じた瞼の上に光線を落とす。薄い皮膚の後ろで、我々の眼球は光を感じる。毛細血管を透かすような赤い光が、まだ覚めていない意識を叩き起こす。ああ、この世界の摂理にも負けぬ、強い強い防壁が欲しい。

カーテン相手ならば屈服する光も、障子の薄い和紙なんて物ともせずに通り抜けてやってくる。相手はボロボロの障子だ。こうして、私の朝は、無理矢理な覚醒で始まるのであった。ある時までは。

というのも、最近、私はアイマスクというものを買った。しかもBluetoothイヤホン付きのアイマスクを。これがなかなかよくて、光も音も遮って、私を外界の激しい刺激から守ってくれる。三千世界のカラスたちも、イヤホンには勝てないし、どんなに強い太陽光もこのアイマスクを乗り越えてはやってこない。見たか、これが人間の叡智だ。

心の余裕というのは大事なもので、アイマスクを手にした今、障子のことを考えてみると、なんだか愛らしく思えてきた。不満だったその不甲斐なさも、ある意味チャーミングポイントじゃないか。だいたいよく考えてみると、完全には太陽光を防いではくれないが、しかしむしろ、ちょうどいいくらいの明るさに調整して室内に入れてくれているではないか。カーテンにはなかなかできない芸当だ。意外と器用なものなのかもしれない、障子というのは。

アイマスクのおかげで、障子に対する感謝の気持ちすら湧いてきた。そうだ、今度、張り替えてあげよう。障子だって大切だ。アイマスクを外して最初に飛び込んでくる光は、障子越しくらいがちょうどいいのだから。