わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

まだ見ぬ欲しかったものと出会う話

たまに文房具屋さんなどにいくと、思いもよらない商品に出会うことがある。そのときの心情というのは少し複雑で「あ、これ欲しかったやつだ」という気持ちを抱きながら、そのとき初めて「欲しかったやつ」の観念が像を結ぶ。


欲しいものの像をどれほどはっきりと持っているだろうか。カメラのピントを合わせる作業みたいなもので、様々な程度がありうると思う。事前の情報が多ければ多いほど、具体的な像を携えて店頭へと向かうことになる。個人的な話だが、電化製品なんかを買うときには、買う商品を具体的に決めてから買いに行くことが多い。だから、電気屋さんの店頭で手に取る「欲しかったやつ」は、それ以前から「欲しかったやつ」であったそのものであることがしばしばである。他方で、ノートを買いに行くとき、だいたいのサイズを決めていたとしても、具体的に「あのノートを買うぞ」ということはあまりない。だから、「ああ、これこれ、僕が欲しかったB5のやつ」といって手に取ったノートは、手に取った瞬間に「僕が欲しかったB5のやつ」になるのだ。


ときに、何の目的もなくぶらぶらしているときに「欲しかったやつ」に出会うことがある。似たような機能を果たす商品を探していたわけでもなければ、そもそも買い物をしようとも思っていなかった場合にすら「欲しかったやつ」は突然やってくる。いままでで最も衝撃的だったのは、とあるゼムクリップとの出会いである。通常のゼムクリップは一度留めて外そうとするとき、針金の先が書類に刺さり傷をつけてしまうことがある。経験がある人もいるのではないか。ゼムクリップはじつは凶暴なのだ。だが、これを見て欲しい。

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普通のゼムクリップは内側の針金が、このようには折り曲げられていないのを思い出して欲しい。容易に想像されるように、この屈折が書類を守るのである。ライオン事務器から発売されているこの商品は、特に何の変哲も無い「ゼムクリップ」という名前であって、この特殊な形状をちっとも誇ろうとしていないように見える。能ある鷹は爪を隠すというようなゼムクリップだ。(https://www.tanomail.com/product/4176831/
このゼムクリップを見つけたとき、僕は特段ゼムクリップを探していたわけでも、書類を何かで留めたいと思っていたわけでも、そもそも文房具を買おうと思っていたわけでもなかった。だが、この天才的な提案、「どうですか、これ、刺さりませんよ」と言わんばかりの形状を目にした瞬間に、それは「欲しかったやつ」になった。それまで全く意識にのぼらなかった欲望が像を結ぶ瞬間を突然に作り出すことができるようなものが、そこにはあった。


現実に存在するもの、それは、一挙に直接にそこに存在している。僕らの想像がたいていどこか欠けたものであるのと対比的に。そこに現実存在するものの完足性がある。だからこそ、曖昧だった「欲しかったやつ」は出会われたときに初めて具体的な「欲しかったやつ」になりうるのである。