わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

2018年へ感謝を込めて

一年を振り返るということ

 たしか、昨年末にも一年間を振り返ってブログを書いたような記憶がある。ひと月毎に書いていって半年くらいまできたところで、「これは大変だ」と気がついた。同じ過ちを二度と繰り返さない。今年はもっと簡潔に思い出したことをサラッと並べておくだけにしたい。とはいえ、瞬く間にすぎてゆく年月を数えることに精一杯で、その中身をすっかり忘れてしまうなんてことにならないように、たまには記録を残しておくのも大切なことであろう。

修士(文学)になる

 今年3月に修士号を取得した。東京大学では、哲学研究室に論文を提出しても、もらえるのは文学の修士号である。修士(哲学)よりも修士(文学)のほうが、じっさいは哲学だけど文学も知ってますよという感がでてよいと、勝手に思っている。
 研究室では伝統ある授与式が行われたのだが、私はてっきり大した行事ではないと思い込んで出席しなかった。あとで研究室にいったら、だいぶ大胆なことをするねと先輩たちに言われ、先生にも「あれは出なきゃだめでしょー」とたしなめられた。私としては、そんな大それた気持ちで行かなかったわけではないので、申し訳ないことをしてしまったと反省している。さぼるときは、さぼられるものが何であるのかということをしっかりと認識したうえで、覚悟を決めてさぼらなければならない。このことを修士課程のさいごに学んだのであった。

勉強の幅を広げてみる

 いままでよりももう少し勉強の幅を広げてみようというのが、今年のちょっとした目標であった。研究室の先輩が主催する読書会にいくつか参加させてもらい、普段は読まないような本を読むことができたのは大変によい経験であった。ダメットを読んだり、『カントの自由論』を読んだり、ハイデガーベルクソンとの時間論に関する研究書を読んだり、とても楽しい読書会であった。
 同期の友人が誕生日に高木貞治『解析概論』を贈ってくれた。一般的にライプニッツといえば、哲学でというよりも、微分積分の祖として有名であるように思う。私は彼の哲学に関する研究者であるけれど、とはいえ、その同じ人が考えたことなのだから多少は知っていた方がいいはずだろう。いい機会だったので、勉強会に参加して、友人たちに助けられつつ進めている。普段とはちがう頭の使い方で楽しいものである。
 後期には、生命倫理に関わるような演習に参加させてもらった。もともとライプニッツの生物学的な側面を研究しているので、生命に関わる議論は、専門の一部でもある。とはいえ、倫理という方向にずらして、さらに現代の医療などの話なども含めて考えるというのは、初めての経験であった。ゲノム編集や遺伝子組み換えの問題、安楽死尊厳死や臓器移植にまつわる権力の問題、そして技術とはいったい何であるのか、これらのことを短い期間だったが勉強することができた。今後もフォローしてゆきたいと思う。

人生初めての公刊論文

 なにごとにも「初めて」がある。些細なことならすぐに忘れてしまうけれど、初めて好きな人に告白した日のことや、初めてライブでギターを弾いた日のことや、初めてお箏に触れた日のことや、初めて学会発表した日のことなどは、よく覚えているものである。そういった「初めての日シリーズ」のなかに、初めて論文が公刊された日のことも入ってきそうなものであるが、なかなか難しい。というのも、特定のある1日にパッと論文が公刊されたわけではないし、なんだかノッペリとした月日の流れの中でマッタリと世の中に生じてきたものが、初めての論文だったからである。それでも「初めて」は「初めて」なのだから、やっぱり私の「初」公刊論文がこの世のなかに生まれ出たのであった。人類がどのようにそれを評価するかはわからないが、少なくとも私にとっては、研究者の第一歩としてとても大事な論文であったように思う。

2018年の終わりに

 年上の人々に「平成生まれなんですよ」というと、いつだって色々なことを言われてきた。そんな「平成」ももうすぐ終わる。次の元号が何になるかは知らないけれど、次の時代に生まれた人々も「〇〇生まれなんですよ」といったら、平成生まれや昭和生まれにいろいろ言われるのだろう。まあどうでもいいことである。
 今年も相変わらず何度も二日酔いになったし、笑っちゃいけないところで笑ってしまったり、大人の階段を登っては落ちを繰り返している。だんだんと将来を見ようと目を凝らす自分がいることに気づいた。とはいえ、遠く向こうは霞に覆われ、なにが待ち受けているのやら。恐れることはない、根拠のない確信を胸に前に進むのだと、自らを奮い立たせる日々。そんな日々に疲れることがあっても、幸いなことに、私はこの世界に大好きなものがいくつもある。人間、音楽、文学、感動的な何かに出会った日には、この世界への愛情を思い出す。愛こそが力だ。私の不安も疲れも、愛を止めはしない、愛に関係すらできない。
 そんなわけで、もう数時間でやってくるであろう2019年を迎えるべく、お茶を入れ、そして線香を焚く。来年よ、よろしく頼むぞ。