わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

温泉雑記:湯田中渋温泉(2018/1/18~19)

「牛に引かれて善光寺参り」という仏教説話があります。牛を追いかけていったら善光寺に辿り着いちゃったというお話でありまして、それもまた仏さまのお導きということになっております。はてさて、仏さまに導かれてなのかどうかはともかく、多くの人々が昔から善光寺へ参ったもので、様々な道が善光寺へと通じているものであります。群馬の草津から善光寺までの道もまたそう行ったルートの一つになっておりまして、旅路の途中にはさまざまな旅籠屋が立ち並んでいたそうです。

今では温泉街として独立して名の知られた渋温泉も、昔は善光寺参りの途中に足を休めるための場所でありました。鉄道の開通や、情報通信革命は人の流れに影響をあたえるものでして、徐々に一つの観光地として有名になったこの渋温泉は、いまではすっかり草津に負けずとも劣らない温泉街となったそうであります。

さて、先日私もこの渋温泉へと行って参りまして、大変良い旅だったものでちょっと感想でもと筆をとった次第であります。便利な時代ですので、都内からでもあっという間です。長野駅から一時間ほど長野電鉄に揺られていくと湯田中にたどり着きます。湯田中から徒歩で二十分ほど川沿いを歩くと、あっという間に渋温泉というわけです。面白いのは、長野電鉄の特急車両でして、古い方の新幹線や特急車両を使いまわしているため、乗る度に全然違うデザインなのです。これはこれで、乗る楽しみがあるものですね。

今回私が宿泊したのは「金具屋」さんというお宿でして、最近では「千と千尋の神隠し」や「このはな綺譚」といったアニメや漫画の聖地としても有名だそうです(私はあまり詳しくはないのですが)。このお宿、どうやら先ほど述べたようにまだこの地域が観光地として有名になる以前から在ったらしく、創業は宝暦八年、つまり西暦でいえば1758年だというのです。明治から昭和初期にかけて大きく建物を増やし、ほぼ現在の形になった金具屋は、いまでもその当時の木造建築のまま営業をしておりまして、幾つかの棟は有形文化財にも指定されているというものであります。

有形文化財であったり、歴史があったり、することそれ自体も貴重なことではあるかと思いますが、私がそれ以上にこの宿に驚いたのは、その装飾であります。現在の九代目にあたる方が説明してくれたことによれば、昭和初期の第増築を行う際に、多くの宮大工を雇い、当時の六代目が彼らを連れて日本全国を回りそれぞれ地域特有の建築技法を学ばせてこの宿に再現させたというのです。この辺は、実際にHPなどで写真を見ていただくのが良いでしょう。

渋温泉街には外湯が九つありまして、この温泉街に宿泊している客は好きにそれらを使用することができるのも魅力の一つであります。しかも、それぞれ異なる源泉を有しているそうで泉質や効能も違うそうなのです。九十歳を超えたというおばあさんと、その息子さんで営んでいる宿近くの喫茶店で聞いた話では、一、六、九の外湯がおすすめということでありました。選べないときは地元の人に教えていただくのがいいですね。

外湯も十分に楽しめるのと同時に「金具屋」さんの中にも内湯がたくさんありまして、全部で八つの温泉が用意されておりました。どれも装飾が凝っていることもありますが、内湯も四つの異なる源泉から掛け流しでやっているということで、短期間にこんなに多様な温泉に入ったのは初めてかもしれません。

一泊し、出発する日の朝、源泉ツアーというものに参加させていただきました。どうやら、宿が独自の源泉を自分で保有しているというのは珍しく、普通は共同で一つの源泉を分けて使用しているそうなのです。共同ですと、その源泉を見学というわけにもなかなかいかないのですが、このお宿では自家源泉を四つ保有していて、それらを見せてくれるというわけなのです。どういう仕組みで温泉が汲み上げられているのか、そして、どんなメンテナンスが必要でという、マニアックな温泉話を聞くことができました。なんとも面白い経験ばかりです。

いまのように医学が発達する以前は、温泉は一つの薬でありました。療養のために温泉地に滞在するということも多々あったということはよく聞くことであります。そのような時代と比べると人々の温泉に対する関心はより精神的なものへと移り変わってきたように思われます。身体であれ精神であれ、それらは切り離すことのできない一つの人間です。癒しの効果がどちらに作用するものであるにしろ、人間にとって、温泉が癒しであるということは変わらないのでしょう。「いい湯だなぁ」と思うことは、年に一度くらいあってしかるべきだと、温泉旅行に行くと感じるのです。どうでしょうか。