わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

静かな音楽と音楽サービス

ここ数年、静かな音楽を聞くようになった。

中学生の頃ギターを始めた。ロックやフォークを聞くことが多かった。合唱もやっていたので、合唱曲もよく聞いていたし、友達に教えてもらってハイフェッツの素晴らしいヴァイオリンさばきに耳を傾けていたこともあったが。高校に入って、吹奏楽を始めた。打楽器パートを担当することになり、吹奏楽曲をはじめ、打楽器アンサンブル曲という非常にコアなジャンルまで聴くようになった。これがなかなかいいのである。大学では山田流で箏を始めた。箏曲や三曲といった邦楽はほとんど聞いたことがなかったのだが、それなりに良さはわかるようになった。独特のリズム、拍感のなさ、そういったものに親しんだ。大学院に入って特にあたらしい楽器をはじめることもなく、なんとなくいろんな音楽を聞いていた。

こんな感じで中学生のころから様々な音楽を聴いたり集めたりしていたのだけれど、あるとき、音楽を保存していたHDDが壊れてしまったのである。なるほど、そういうこともあるだろう。バックアップもとっていなかったので悲惨だった。いくらか手持ちのCDもあったのだけれど、また読み込んだりするのが面倒で、しばらく音楽を聴く生活からは離れることになってしまった。

apple musicというサービスがそのころ始まった。なんとなく音楽がいろいろ聴けるの便利そう、くらいの気持ちで登録してみると、たしかにものすごく便利だった。ふと思ったジャンルの音楽をすぐに聴くことができる。今はたくさんのそういったサービスがあるが、どれもたぶんの便利なのだろう。

そこでなんとなく静かな音楽を聴きたくて検索していたら、クエンティン・サージャックというポストクラシカル系のアーティストに出会った。彼の Far Islands and Near Places というアルバムに収録された aquarius という冒頭の曲に一瞬で惹かれてしまった。私は自分が好きな音楽に出会った瞬間、毎回毎回、衝撃的な思いを抱く。このときもやはりそうであった。びっくりするのだ。世の中にこんな音楽が存在していることに。私が鍵穴だとしたら、見ず知らずの誰かに、ぴったりのキーを差し込まれた気分。

それから、芋づる式にどんどん出てくる。定額制の音楽サービスはこの芋づる式ができるというのが嬉しい。近いジャンルを散策していると、またそのような驚きに出会うことも多い。好きな音楽というのは、本当に微妙なもので、似たような鍵だからといってぴったり当てはまるわけではないように、鍵山一つでしっくりこないものである。だからこそ、地道にポツポツ見つけるしかない。

そういうことのできる場が、こうやって整備されていく。良い時代だと思う。