わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

悲しみにつける薬のために

夢を見た。護岸がしっかり整備され、鉄柵が人の侵入を防ぐほどに手の入った河川の横の細い歩道で「これは二年前に亡くなった妹の指輪なのだ」と言いながら、私にそれを手渡した人がいた。「だけど、まだ会いに行けていない」そう言って、その人はうつむいた。薄暗い街灯はその表情を全くの暗闇に隠してしまった。

私は何かしてあげなくてはならないような気がした。何か気の利いた言葉をかけたり、気の利いた行為をしたり、気の利いた…。けれど、そのような気の利いたことは何一つ思い浮かぶことはなかった。

悲しみという感情を私は避け続けて生きてきた。悲しみという感情は知らない家の子だ。何をするのかわからない。忌避は無知だ。だから、私ではない誰かがその悲しみと付き合おうとしているとき、その状況は私にとって真っ暗闇にしか見えない。ただ呆然と立ち尽くすだけである。その人の前に。

私は壊れた機械を見ると直してみたくなる。扇風機のスイッチが壊れたときには、ドライバーを持ち出して分解してみたりもしたし、時にはマイナスドライバーでこじ開けたりもした。たいていの場合、機械を直す試みは失敗したし、むしろ悪化させた。

何がいけなかったのか。明白に、明確に、機械というものについての無知ゆえにである。無知なものに手を加えることはいつでも危険が伴う。

他人の悲しみという全くの暗闇を前にすると、私はあらゆる可能性に思いを巡らせることになる。そしてどの可能性もが同じだけの確からしさで脳内を過ぎ去っていく。なにもかもが、同じだけ。それでも、私は何かしてあげなければならないのだという、誰に言われたのでもない責任を感じることになる。

でも、そうではないのかもしれないと思っている。つまり、責任を感じることなどないし、何もしてあげる必要はないのかもしれないと思っている。行為することと、行為しないことは、能動的なものとそうでないものとして、前者を持ち上げがちである。けれど、何かしてあげなくてはならないように思われる場面で何もしないことを選べるのだとしたら、それは十分に能動的ではないか。それはもちろん、仕方なく何もしないということとは異なっている。責任を感じつつ、あえて何もしないということ。そして、何もしないということが私とその相手の関係性において最善の選択である場合が少なくないように思うのである。

他人の悲しみをどうにかするために、私からはなにもしないということ。結局これは、私が悲しみを知らないがゆえに、唯一のものとして出てきてしまった答えでもある。無知でないことに対しては、何かしらの道を見出す可能性もありえなくはない。それゆえに、私自身の怠慢の結果が、責任による咎めであり、後ろめたさであろう。「私はそれは知らないので、関係できません」と言って去っていくときの後ろめたさ。

相手のうつむいた表情に広がる全くの暗闇は可能性の嵐である。同時に、私の無知でなかった可能性がスポットライトに照らされて責任を主張する。暗闇の可能性と照明の可能性の間で、私自身はただどちらにも背を向けて歩く。どちらにも背を向けて私であることしかできないのだとつぶやく。