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CORPUS ORGANICUM

日々の雑記。

マルクス・アウレリウスの比喩:『自省録』第2章より

マルクス・アウレリウスの『自省録』には、多くの比喩が登場する。

なぜなら私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手や、両目蓋や上下の歯列の場合と同様である。それゆえに互いに邪魔し合うのは自然に反することである。  (マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷訳)

第2章の冒頭に登場するのがこの比喩である。話としては、世の中にはたくさん嫌な奴がいるけれど、そういう人々と互いにぶつかり合うのは自然(この「自然」という概念はストア派において重要な概念なのだろうが)に反するということである。その比喩として、私たちの身体における対になった器官があげられている。

両足、両手、両目、上下の歯、これらは互いが互いを邪魔することなく働いているというのは、たしかにその通りである。というより、これらの対は協力し合うことでより効率良くその目的を果たすことが可能になっている。1つの身体のうちで、それぞれの器官が全体のために協力するように働いているということから、マルクス・アウレリウスは人々の間の本性的な協力関係を導き出す。このような比喩は、彼が宇宙を1つの生き物として考えていたことにも由来するのだろう。

宇宙は1つの生き物で、1つの物質と1つの魂を備えたものである、ということに絶えず思いをひそめよ。 (同書)

それぞれの人間も1つの身体のうちの器官のように、ぶつかり合うことのないようなものとして考えることができるということなのだろうか。自然の秩序の中に置かれるというのは、私たちの身体的な調和のうちに置かれるのと同様の協力関係を、世界のうちにみる理由として十分なのかはわからない。

 

第2章に登場する、もう1つの印象的な比喩を紹介しよう。

人間の魂が自己をもっとも損なうのは、自分にできる範囲において宇宙の膿瘍や腫瘍のようなものになる場合である。なぜならば何事が起っても、そのことにたいして腹を立てるのは自然にたいする離反であって、他のあらゆるものの自然はその自然の一部に包括されているのである。 (同書)

こちらは、第2章の最後から2つ目の節に置かれた比喩である。ここでも、宇宙は1つの生き物のように考えられているのがうかがえるだろう。というのも膿瘍や腫瘍というのは、生き物において生じるものとして考えるのが普通だからである。膿瘍や腫瘍は、両手や両足が協力しあっている身体において、ある種の離反者である。時には腕を腐らせることもあるし、そのことによって腕の働きを阻害する。

ここでマルクス・アウレリウスが「人間の腫瘍のようなものになる」のではなく「宇宙の膿瘍や腫瘍」と述べたことは興味深い。宇宙に膿瘍が生じるということを言葉のままにとることはできない。すべては協力関係にあるとされる宇宙に生じた何らかの離反性を「膿瘍や腫瘍」という言葉で表している。このことによって、宇宙が人間と類比的に語られることが自然に導入されていく。宇宙はいつのまにか1つの生き物に対して語られるはずの言葉の対象となっているのである。

 

以上で見たような『自省録』第2章における比喩は、対になった身体器官の協力関係と、それに対する離反者としての腫瘍という、どちらも身体的な比喩である。比喩の領域が身体へ収められているということによって、1つの生き物としての宇宙という点が明らかに強調されることになる。その意味で、第2章に登場するこれらの比喩は効果的であり見事であると私は思う。