わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

「規則正しい」について

規則正しいというのは、「規則が正しい」のか「規則に正しい」のか。

前者の場合。規則自身の正しさについて、何かを述べている。規則自身の正しさとは一体なんだろうか。等差数列のような数列は規則正しいと思われる。突然、その数列の中にまったく無秩序な数字が入り込んで来たら、その数列は規則を失う。規則正しくなくなる。

ただし、実はその無秩序に思われた数字も、さらに数列を伸ばしていくと規則性をもっているかもしれない。一部を見て全体を判断できないということがある。

ともかく、規則の正しさはそれが一貫している、数列で言えばあらゆる数字に規則が適用されているということが言えそうである。そのように適用可能な規則があるときに、規則が正しいといわれる。このとき、規則はなにかその適用される対象に対して適合しているかどうかという観点で見られる。対象なしに規則が正しいかどうかということは言われうるのだろうか。

後者の場合。規則に正しい、というとき、ある事物があってそれが、すでに在る規則に適合しているかどうかということによって言われる。事物は様々な特徴を有していて、色があったら、凹凸があったりするかもしれない。規則にはそのようなことは含まれていない。例えば、並び方に関する規則は、並び方にしか関係しない。ある規則がある事物に適合するというとき、規則が主張する限りのことについて言われていることになる。

規則はすでにあるのか、それとも事物があるから規則があるのか。規則に正しいということは、すでに在る規則を前提とする。規則が正しいということも、対象なしには言われないかもしれない。それとも、規則は規則だけで規則から規則を導いて体系を作る整合性において正しいのだろうか。