わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

どうしたら名人になれるのか

古今亭志ん朝の落語のマクラに「名人」について述べているものがある。最近は名人ということがよく言われるけれど、本当の名人はいるのだろうか。名人たるには何が必要なのか。そういうことをはなしている。カトリックで聖人に認定されるためには、いくらかの奇蹟を起こすことが条件になっている。名人というのもそう簡単になれるものではないというのが志ん朝の見解である。

落語の方で名人と呼ばれる人、とりわけだれもが名人と呼ぶ人といえば三遊亭円朝ということになるだろう。彼は多くの人情噺、怪談噺を創作し、それまでの滑稽噺中心だった落語に新たな方向性を与えた。そんな彼は無刀流の使い手で禅と書の達人である山岡鉄舟と親交が深く、山岡は円朝に「無舌居士」という法名を提案する。そして現在、円朝の墓は谷中の全生庵にある。その墓石には「三遊亭円朝無舌居士」と彫られ残っているということである。

この「無舌居士」というのもそうだが、名人というのは「それをやりつつ、それをやらない」という排中律に反するような仕方で技を扱う。つまり、円朝であれば、舌を使って話すところを、舌を使わない、つまり舌を使って話すということをしないのである。

このような名人像は、中島敦の「名人伝」に明確に示されている。こちらに登場するのは弓矢の名人である。

老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代わってこれに乗ると、では射というものをお目にかけようかな、と言った。まだ動悸がおさまらず蒼ざめた顔をしてはいたが、紀昌はすぐに気が付いて言った。しかし、弓はどうなさる? 弓? 老人は素手だったのである。弓? と老人は笑う。弓矢を射る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。(中島敦名人伝青空文庫より)

この老人は弓矢をつかわずに「射」というものをお目にかけようとしているのである。そして、この後空に飛ぶ鳶を一匹射ると「中空から石のごとく落ちて来る」。射せずして射すのであり、やらずしてやるというのが、この名人像だ。

無舌居士にしても、弓の名人にしても、「そんなことあるものか」と思うところである。しかし、ありえないと思うところをやるからこそ「名人」と呼ばれるのであり、上手であるのと名人であるのは次元の異なるはなしなのかもしれない。しかしありえないということをやる、というのは生きている人間にできるのだろうか。思うに、話が誇張されてどんどん広がっていくなかで、やっと名人らしき人間が出てくるのではないか。

私も読書名人とか、研究名人になって、「不読書之読書」とか「不研究之研究」をできるようになってみたいものである。そのためには、まず人々に語られ広がり誇張される人間でなくてはならない。名人になりたい、というのは、なんとも途方もない目標なのだろう。