わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

日本ライプニッツ協会第10回大会と『ライプニッツ研究 Studia Leibnitiana Japonica』第5号との紹介

日本ライプニッツ協会第10回大会

2018年11月10日から11日にかけて、石川県金沢市にある石川四高記念文化交流館にて日本ライプニッツ協会第10回大会が開催されました。ちょうど紅葉が美しい季節であり、会場前にある公園でも木々がそれぞれの色に染まっていて、煉瓦造りの会場建物の落ち着いた雰囲気と心地よく調和していたのが印象的でした。色とりどりの木々に負けず劣らず、大会では様々な分野にわたる研究発表が繰り広げられました。数学論から始まり、西田幾多郎との関係、君主教育、医学、そして時間論…、これらが分会という仕方で区分されることなく、ひとつの大会で議論しあえるというのは大変貴重なことだと思われます。以下、個人的な感想も大いに含めつつ、全5つの研究発表をご紹介します。

稲岡大志(神戸大学)「厳密であるとはどういうことか?:『算術的求積』の評価をめぐる論争」

初日最初の研究発表は、稲岡氏による初期ライプニッツの数学論に関するものでした。発表が始まってまず驚いたのは、発表原稿を配りつつスライドをメインにして説明するというスタイルです。哲学史研究においては、対象となる哲学者のテクストをいかに解釈するかということが大事になってくるので、そのテクストと細かな解釈を示すための原稿が欠かせません。それと同時に、ライプニッツの数学的な議論を追うだけの発表時間が確保されていないなかで、できるだけ簡潔にポイントを伝えるということを、スライドが補助しているかたちでした。発表の内容は、『系として表なしの三角法が与えられる円・楕円・双曲線の算術的求積について De quadratura arithmetica circuli ellipseos et hyperbolae corollarium est trigonometria sine tabulis』(1675–76)に関して、Knobloch と Blasjo という研究者たちの論争を整理し、両者に対して稲岡氏は、ライプニッツが用いた図形の解釈を通して新たな解釈を示しました。重要なのは、同一の命題の証明のなかで、ライプニッツが使う図形の機能を二つに区別することができるということです。すなわち、「(妥当な)推論の媒体としての使用」と、「代数的に表現される証明を視覚化する媒体としての使用」とです。 これらの混用は、20世紀的な厳密さからすると、批判されるべきものかもしれませんが、ライプニッツ自身の主張を正確に捉えるためには、このような図形の使用を正確に捉えることが重要なのだと稲岡氏は締めくくりました。

大西光弘(立命館大学)「下村寅太郎によるライプニッツ理解と西田理解」

西田幾多郎下村寅太郎に対して「いま自分に一番近いと思う哲学者はヘーゲルよりもライプニッツだ」と語ったという逸話から、大西氏の発表は始まります。この発表は、下村が1966年にハノーファーの国際ライプニッツ会議で西田哲学からのライプニッツ哲学批判を発表した際の原稿をまず翻訳、紹介して、その上でそのライプニッツ批判がどのようなものであったかを明らかにするものでした。西田の批判で個人的に興味深かったのは、ライプニッツモナドジーは「唯神論的」であって、物質的な世界を見落としていると西田が評している点です。つまり、ライプニッツモナドジーには「死」がないというのです。西田によるライプニッツ理解は、モナドジーの正確な理解とは言い難いかもしれませんが、「生まれて死ぬもの」としての存在の次元については真正面から検討しなければいけないだろうと、私自身も感じています。

山崎明日香(日本大学商学部)「ライプニッツの君主教育論における演劇教育の導入 — Lettre sur l’Éducation d’un Prince を手がかりに」

大変残念なことに、山崎氏の発表の際に事務作業で私は会場を離れており、内容を聞くことができませんでした。いただいたレジュメを拝見する限り、スピノザモンテスキューパスカルペリエ、コメニウス、そしてライプニッツという人々が登場し、彼らがそれぞれどのような君主教育観を有していたのかが語られたようです。最近完結したライプニッツ著作集第二期でも「王子の教育についての書簡」が翻訳されるなど、ライプニッツの新たな側面が次々と明らかになってきています。重要なことは、一見バラバラにも感じられるそれらの側面が、どれもひとりの人物の一側面なのだということであり、ライプニッツ自身のなかでは全てが自身の哲学のなかで確固とした位置を有していたのだということでしょう。そういう意味で、新たな側面の研究は従来の研究から切り離されることはなく、むしろ相互的に明らかになっていくことになるのだと、私は考えます。そういう意味で、山崎氏のこの発表もまた、われわれが21世紀的なライプニッツ観を形成してゆくうえで非常に重要なものであったように思います。

寺嶋雅彦「ライプニッツにおける医学の構成要素とその学問的位置付け」

さて、大会二日目に入り、寺嶋氏の医学に関する研究発表から始まります。ライプニッツ医学論に関する研究は、20世紀後半から盛り上がりを見せ、今まさに世界的に研究が進んでいる分野でもあります。寺嶋氏はつい最近までフランスに留学していまして、ジャスティン・スミス氏の下で研究に励んでいたそうです。本発表は、まだほとんど日本では紹介されていない(あるいは世界でもあまりないかもしれません)ライプニッツによる医学の学問的位置付けの紹介でした。ライプニッツが賛同していたとされるホフマン、そして論争相手でもあったシュタール、カントとの関係で言及されることも多いブールハーフェらの医学の位置付けを示し、それらに対してライプニッツがどのような考えをもっていたのかが問われます。私自身の考えですが、医学のような経験的な科学をライプニッツが重視していたことは、彼が機械論者であったことと合わせて非常に重要なことだといえます。機械論は現象がどのように生じてくるかをその部分に基づいて明らかにするものですが、経験的な科学は、そのような機構が明らかでない微細なものに対する知解性を保証する上で重要になってくるのです。寺嶋氏は、これから博士論文を書かれるそうで、その序章にも当たる部分だとおっしゃっていました。今からその完成が楽しみでなりません。

松田毅「ライプニッツの時間論 — 「現実的時間の関係主義」」

本大会最後の研究発表は、松田氏によるライプニッツの時間論です。従来、ニュートンの「絶対時間」に対して「関係主義」的に捉えられてきたライプニッツの時間論を、時間の各瞬間における「質的な差異」という観点から「現実的時間の関係主義」として捉え返すというのが、この発表の趣旨でした。ライプニッツがホラチウスに登場するキタラー弾きを引き合いに出して「いつも同じ弦を弾く[誤るoberro]ことは、神的調和に一致しない」と述べるとき、まさに時間的な不可識別者同一の原理が働いているのだと、松田氏は考えます。そのような質的に異なる個々の瞬間は、現実的な個体性を有しており、その瞬間に基礎付けられる持続的な時間は、モナドが現象を基礎付けることと類比的に、実在的なものであると考えられます。こうして、ライプニッツの時間論は単に関係のみに解消されてしまうものではなくて、それ自体で何らかの実在性を主張することができるような時間なのだということになります。松田氏はこれまでもライプニッツに関して、進化論や、テセウスの船との関連で同一性、さらに『ライプニッツ研究』最新刊では経済哲学についても研究をされていて、これらが時間論も合わせてどのように結びついていくのか非常に興味深く思われます。

ライプニッツ研究 Studia Leibnitiana Japonica』第5号

隔年で刊行されている『ライプニッツ研究』(日本ライプニッツ協会編)も第5号となりました。大会会場で受け取ってすぐにわかったのですが、今号はいつもよりもだいぶ厚いものとなっています。海外からの特別寄稿が三本、そして研究論文が七本という、盛りだくさんぶり。この中から、私(三浦)と増山氏の論文が「日本ライプニッツ協会研究奨励賞」第七回受賞となりました。これまでの受賞は、池田真治「想像と秩序 — ライプニッツの想像力の理論に向けての試論」(『ライプニッツ研究』創刊号)と稲岡大志「実態の位置と空間の構成 — ライプニッツ空間論の展開の解明に向けて」(『ライプニッツ研究』第3号)との二本であり、今回で計四本の論文が研究奨励賞を受賞したこととなります。以下、今号の目次をあげておきます、ご興味があれば是非読んでみてください。

特別寄稿
- ヴィンチェンツォ・デ・リージ(稲岡大志訳)「位置解析、すなわち数学の基礎と空間の幾何学
- ノーラ・ゲーデケ(酒井潔訳)「理論と実践:歴史家ライプニッツの工房における史料編纂作業」
- リタ・ヴィドマイアー(長綱啓典訳)「ライプニッツコペルニクス的転回:ハインリッヒ。シェーパース『ライプニッツ — 一つの成熟した形而上学へ至る諸々の道』(ベルリン, アカデミー・フェアラーク, 2014年)書評

研究論文
- 池田真治「虚構を通じて実在へ — 無限小の本性をめぐるライプニッツの数理哲学」
- 三浦隼暉「後期ライプニッツ有機体論 — 機械論との連続性および不連続性の観点から」
- 松田毅「ライプニッツの経済哲学試論 — 自然と規範」
- 根無一信「ライプニッツ自由論と占星術 — 「星々は傾かせるが強いない」の思想をめぐって」
- 町田一「最善世界の神学 — アベラルドゥス-ライプニッツ・プログラム」
- 手代木陽「ヴォルフにおける「可能性の補完」としての現実存在」
- 増山浩人「カントのライプニッツ哲学受容の源泉としてのバウムガルテンの『形而上学』 — 前批判期カントの予定調和説批判」

なお、『ライプニッツ研究』はライプニッツ協会事務局に直接連絡するか、いくつかの大きな書店で、購入することができるようです。詳しくは、日本ライプニッツ協会のHP(https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~19950491/leibniz/index.html)をご確認ください。 f:id:philoglasses:20181115121026j:plain

目覚まし時計を使って朝起きる方法について

朝。

寝坊をするとき、私はたいてい夢をみている。「あれ、夢をみてる場合だっただろうか」と夢中で自問し、重い瞼をこじ開けて時計をみると、予定時刻はとうに過ぎ去ってしまっているのだ。今日もそんな仕方で1日が始まった。

友人たちと本郷でやっている勉強会は10時からの予定であった。家から大学までの道のりをゆくのにかかる時間は、1時間と30分。つまり、8時30分に家を出ればよいのであり、8時に起きれば十分に間に合う。大変に複雑なこの逆算を前日夜に為し終えていた私は、しっかり目覚まし時計をセットして布団に潜り込んだ。

なぜこの世の中に目覚まし時計が存在するのかを少し考えてみればすぐにわかることだが、人間は寝坊する生き物である。マルクス・アウレリウスが『自省録』の中で、いつまで寝ているのかお前は寝るために生まれてきたのかと、寝坊に厳しいことを述べていた。ここからわかることは、寝坊は、とくに現代人特有の悩みというわけではなく、古来より人々が悩み、そして(その背徳感も含めて)楽しんできたものなのである。

目覚まし時計も、ときに寝坊する。突然の故障もあるだろうし、電池の不足もある。「寝ている間に電池が切れたらどうしよう」というのは、誰もが抱いたことのある心配だろう。それでも、これは経験から明らかなことであるが、たいてい、時計は朝まで動いているし、私はなかなか起きられない。目覚まし時計に協力を仰ぐことは必至である。

大きなアラーム音で8時を知らせる目覚まし時計。CASIO の電波式時計は、たぶん、非常に正確に8時を教えてくれた。そのままにすると、ご近所さんからいつまで寝ているのかと思われる恐れがあるため、アラームを止める。どうやらここが重要である。「アラームを止める」のは、目が覚めて合図がもう必要がないからではなく、あくまで、世の中に対する体面を保つためなのである。それゆえ、安心の布団の中に再び帰っていくことは、アラームを止めることと、何ら衝突しない。

われわれにとって本当にアラームを止めるべきは、目が覚めて合図の必要がなくなったときである。しかし、そのような伸び伸びとした起床を認めないのが体面というものだ。この体面のせいでアラームは鳴り止み、燻った起床の火種は布団の闇の中に消え去ってしまう。

人間と寝坊の関係は切り離すことができない。それでも、寝坊を最低限に抑えるための手立てが何もないわけではない。人間は、日時計を超えて、朝まできっちり時間を示してくれる動力付きの時計を発明したし、けたたましいアラームをそれらに備え付けさえしたのである。あとは、私自身が少しだけの体面を放り捨て、目が完全に覚めるまでアラームを止めなければよい。これできっと起きられるはずである。

ところがまたしばらく朝の用事がないのである。だから寝坊する気がする。

 

手をつなぐということ

小学生の頃、下校途中に追いかけっこをしていて転んだことがある。季節も思い出せないくらい古い記憶だけれども、かすかな記憶をたどると、坂道で転んだ私は、腕を変な方向に曲げてしまいその後数週間のギプス生活を送ったのであった。

成長して転ぶことも少なくなった。転ぶ要因は様々あるが、そのほとんどの要因を避けられるようになったのである。先に挙げた思い出の転倒は、足をもつれさせて転ぶというものであったと思う。最近はそもそも走ることが少なくなったし、ましてや坂道を駆け足でくだるなどという危険な行為をあえてしようとは思わなくなった。他にも、歩行時の足の上下が不十分であることによって何かにつまづいて転ぶという場合や、平衡感覚を失って転ぶ場合などを考えることができる。そういった危険に対しても、成長した私は、ある程度対応できるようになったのだろう。

とはいえ、やはりたまには転ぶのである。私たちはある程度の身長を有しているので、舗装されていない道をみても、その凹凸が些細なもののように感じたりする。その油断が転倒へと誘うのである。蟻の眼を備えろ!次の瞬間には天地がひっくり返る!

犬と生活していたことがある。小さい頃から犬が家にいた。一人っ子だった私にとって、彼は兄弟であり友達であり犬であった。ところで、犬はとても足が速い。しばしばフリスビーで一緒に遊んだの覚えている、犬は、すごい速さで駆けていって高く飛び上がりそして帰ってくる。ただ、記憶のどこを探っても犬が転んだ姿をみたことがなかった。それは、きっとあの四つ足のおかげだろう。どんなによろけても絶対に倒れない四つ足のロボットの動画をみたことがある。二つ足に比べて、四つ足はずっと転びづらいのだ。

彼女と暗い山道を歩いていたときのことである。日も落ち周りに人影もなく、手元の懐中電灯だけが頼りであった。地表では、沈んでは飛び跳ねる木の根が、私たちを転ばせようと、至る所にうようよと潜んでいる。この状況において、転倒は避けられないように思われた。安全なところへ戻りたいと焦る気持ちで早まった一歩を、木の根はすかさず捕らえてきた。それでも、転ぶ運命に必死にあらがい振り回した左腕を、彼女がしっかりと捕まえてくれたおかげで、私はなんとか耐えることができた。それだから、その後、手をつないで山をおりた。そのとき、私たちは転倒の恐怖に打ち勝ったのである。

あのとき、私たちは四本足の何かだった。「支え合って生きる」という、思弁的で抽象的で観念的な言葉を聞いたことがあるだろう。手をつなぐということは、それとはだいぶ異なる。四本足が本来的であるというような、ある種の全体性を前提とした相補性でもない。手をつなぐことで、私たちは、転倒の不安にそれぞれで打ち勝つという出来事を、同時に経験したのである。その経験は、全能感のようなものではないけれど、人間身体にとって本性的な「転倒」を超えうるという、予感や期待をもたらした。

キャンプファイアーを囲んで手をつなぐ。それで私たちはみんな少しだけ完全だったのだ。