わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

ヴィトルト・リプチンスキ/春日井晶子訳『ねじとねじ回し』(早川書房)に関する覚書

20世紀の終わりごろ、それまでの1000年間で最も偉大な道具がなんであったのかを調査した建築学者のエッセイである。ハンマーも、のこぎりも、古代ギリシアからずっと改良を重ねながら使われ続けてきたものだった。しかし、「ねじ」と「ねじ回し」はそうではない。あるとき、突然変異的に出てきた道具であった。

注意しなければならないのは、「ねじ部品」と「ねじ基本」をしっかり区別しなければならない点である。ねじ基本とはねじ山等のねじの原理であり、ねじ部品とはねじ全体を指して言われる。ねじ基本は、古代ローマ古代ギリシア時代から、圧搾機やアルキメデスの水揚機などで使われ続けてきた。しかし、それがねじ部品として、つまり釘と螺旋の組み合わせとして使用され始めたのは、ねじ基本の発明から少なくとも1400年の期間をおいてのことだったのである。

ねじと釘の違いは大きい。釘は打ち込まれた後、左右からの圧力で固定される。一方、ねじは左右の圧力に関係なく固定される。仕組みの複雑さが一次元異なっている。この転換はある種の詩作的発想力の賜物であると著者は考えている。例えば、フランスにおける蒸気機関のパイオニアだったE. M. バタイユを引用して「発明とは、科学の詩作ではないだろうか。あらゆる偉大な発見には詩的な思考の痕跡が認められる。詩人でなければ、何かを作り出すことなどできないからだ」(p. 130)と述べている。この意味で、ねじとは特定の問題を解決するために発達した枠付きの大のこや、ソケット付きハンマーとは一線を画する発明だったという。

ところが、著者の次の発言ではねじに対する「要請」があったということが指摘されている。「古代ローマでは火縄銃も背出し蝶番もなかったので、ねじのような小さくて効率的な締め具はたいして必要なかったのだろう。…技術上のさしせまった要請がなかったわけだ。つまり、1400年後にようやく機械屋の詩人が気づいたのだ。オリーブの実を潰したり、折れた骨を伸ばしたり、観測器具を調整したりできる螺旋なら、ねじ山のついた釘として使うこともできる、ということに」(p. 148)。ここで言われる「要請」とは「特定の問題を解決するためではない」ということとどのように相容れるのだろうか。

ここに、ねじをはじめ、曲がり柄錐や卓上旋盤といった突然変異的な発明(徐々に発達するのではない仕方での発明)の面白いところがある。時代状況は少なからず何かを要請してくる。火縄銃の登場は、小さくても緩まない締結部品の発明を要請した。釘では明らかに代用不可能な締結部品である。しかし、必要性から発明までが全くシームレスではないのである。必要があるから釘に螺旋を付け足せばいいという仕方でねじは発明されないということである。そもそも、釘の原理とねじの原理は全く異なっている。このことから言って、釘が有する特定の問題、緩みやすさや、大きさといったものの解決は、釘に対する問題解決という仕方では行われなかった。それは、より大きな時代的な問題解決の次元でなされたのであり、釘とは断絶的な詩的発明であると言える。

これは著者の書いていることを逸脱した一つの解釈にすぎないが、要請と詩作性の両立のなかで発明された「ねじ」を語るにはこの道が適当であるように思われる。問題解決ということが、何にとっての問題解決なのか、つまり「釘の問題」なのか「時代としての問題」なのか、この違いをこの著書からうまく読み取ることができなかった(読みが足りないせいかもしれないし、エッセイだからそんなに厳密ではないのかもしれない)。時代としての必要性であれば、ねじは、ねじでなくてもよかったと言える。他の全く異なる原理が細かな部分で強力な締結部品として使用されていた可能性もあるのだ。これが詩的であることの内実ではないか。

この点で、私の「ねじ」理解は翻訳者と異なってしまっていることも注意しておかねばならない。というのも翻訳者は、文庫版が出版されるにあたってのあとがきで、つぎのように書いているからである。「もしねじがなかったら…という仮定は無意味であろう。なぜなら、人類の歴史のどこかの時点で必ず、ねじは必要とされ、生み出され、有名無名の職人の工夫や努力を宿らせて、私たちの生活を支える裏方となったはずだから」(p. 181)。しかし、時代の要請は、あくまで釘の改良ではなく、新たな締結部品を求めたのではなかったか。そしてそれは、螺旋を本質とする締結部品である「ねじ」でなくともよかったし、その登場はあくまで詩作的な創作、自由な精神の所産だったのではないか。

何にせよ、人間のものづくりという営みは、考えるべきことが多い。今後ものんびり考えていきたいテーマである。

 

静かな音楽と音楽サービス

ここ数年、静かな音楽を聞くようになった。

中学生の頃ギターを始めた。ロックやフォークを聞くことが多かった。合唱もやっていたので、合唱曲もよく聞いていたし、友達に教えてもらってハイフェッツの素晴らしいヴァイオリンさばきに耳を傾けていたこともあったが。高校に入って、吹奏楽を始めた。打楽器パートを担当することになり、吹奏楽曲をはじめ、打楽器アンサンブル曲という非常にコアなジャンルまで聴くようになった。これがなかなかいいのである。大学では山田流で箏を始めた。箏曲や三曲といった邦楽はほとんど聞いたことがなかったのだが、それなりに良さはわかるようになった。独特のリズム、拍感のなさ、そういったものに親しんだ。大学院に入って特にあたらしい楽器をはじめることもなく、なんとなくいろんな音楽を聞いていた。

こんな感じで中学生のころから様々な音楽を聴いたり集めたりしていたのだけれど、あるとき、音楽を保存していたHDDが壊れてしまったのである。なるほど、そういうこともあるだろう。バックアップもとっていなかったので悲惨だった。いくらか手持ちのCDもあったのだけれど、また読み込んだりするのが面倒で、しばらく音楽を聴く生活からは離れることになってしまった。

apple musicというサービスがそのころ始まった。なんとなく音楽がいろいろ聴けるの便利そう、くらいの気持ちで登録してみると、たしかにものすごく便利だった。ふと思ったジャンルの音楽をすぐに聴くことができる。今はたくさんのそういったサービスがあるが、どれもたぶんの便利なのだろう。

そこでなんとなく静かな音楽を聴きたくて検索していたら、クエンティン・サージャックというポストクラシカル系のアーティストに出会った。彼の Far Islands and Near Places というアルバムに収録された aquarius という冒頭の曲に一瞬で惹かれてしまった。私は自分が好きな音楽に出会った瞬間、毎回毎回、衝撃的な思いを抱く。このときもやはりそうであった。びっくりするのだ。世の中にこんな音楽が存在していることに。私が鍵穴だとしたら、見ず知らずの誰かに、ぴったりのキーを差し込まれた気分。

それから、芋づる式にどんどん出てくる。定額制の音楽サービスはこの芋づる式ができるというのが嬉しい。近いジャンルを散策していると、またそのような驚きに出会うことも多い。好きな音楽というのは、本当に微妙なもので、似たような鍵だからといってぴったり当てはまるわけではないように、鍵山一つでしっくりこないものである。だからこそ、地道にポツポツ見つけるしかない。

そういうことのできる場が、こうやって整備されていく。良い時代だと思う。

しらすピザのこと

釜揚げしらすというのを手に入れた。どうやって食べるのが美味しいのだろうか。シンプルにご飯に乗っけて食べてみた。美味しい。パスタにしても、もちろん美味しい。それで最後に、ピザにしてみることにした。

江ノ島にしらすピザを売りにしている店がなかっただろうか。私の記憶では橋を渡って少し入ったところに、そのようなお店が看板を出していたような気がする。江ノ島といえばしらすだし、そこでピザにされているのだから、間違いないだろう。

さっそくピザ生地を買いに行ったのだが、あいにく薄皮の生地しかおいていない。パリパリの薄皮も美味しいとは思うのだが、気分は完全にふっくらとした耳を有した、あの生地である。まわりを見てみると四種のチーズピザというのが並べられていた。どうやらこれは、ピザ生地にチーズを乗っけただけのシンプルなピザとして売っているらしい。トマトソースが乗っているとしらすには合わないので、その点も確認したが、どうやら大丈夫だ。

チーズピザと、ネギを買う。しらすには醤油とマヨネーズが合う。これは間違いない。チーズが乗った厚めのピザ生地に醤油とマヨネーズを丁寧に塗っていく。塗り終わったらその上にオリーブオイルを少々。そしてネギとしらすを乗っけたら、オーブンでブン!!これでいい。

いい匂いだ。熱々のピザを綺麗な60度に切り分けることができれば、それで完成である。空腹時に、ピザとお好み焼きを切る楽しみは、格別なものがある。早く食べたくても、慎重に、綺麗に。そのあとのテンションに関わるから重要だ。

ピザと一緒にコエドビールも飲んでしまえ。コエドビールとは、埼玉県川越市で作っているビールであり、いくつかのバリエーションがあるのだが、どれも固有の香りを有している。その日の気分で好きな香りを楽しめる。しらすピザには瑠璃を選んだ。味としてはオーソドックスであるけれど、香りは華やか爽やか、口からはすっと鼻へと抜けていく。

ああ、もうすぐ本格的な夏がやってくる。ああ、もうすぐ本格的な夏がやってくる。