わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

ヨコヅナサシガメの越冬

昨日とある公園を散歩していたら見たことのない虫を発見した。ゴツゴツした桜の幹に、体長1センチちょっとくらいで赤黒い体をした虫たちが何十匹も体を寄せて集まっていた。背中がゾゾゾーッとするような光景だったのだけれど、普段見慣れない姿だったのでじっくりと観察することになった。

からして蜘蛛かとも思ったのだが、どうも足の数は6本だし触覚までついているので明らかに違う。なんだこの虫は、と後から調べてみるとどうやら「サシガメ」というカメムシの仲間らしい。私が見たのは、そのなかでも「ヨコヅナサシガメ」というとりわけ大きな種類の幼虫のようだ。そういえば、昔見ていた図鑑にカメムシらしからぬカメムシが載っていたのを思い出した。あれがそうだったのだろう。カメムシというとカクカクした体をしていて、だいたい緑とか茶色とかだと思うのだけれど、サシガメは全然違う姿をしている。細長い顔とつやつやした体が印象的なのだ(見た目がアレなので、見たい人は自分で検索してみてほしい)。

明らかに、毒があるぞ、という色をしていたのでそのときは触らなかった。調べてみると、やはりむやみに触ると刺されるらしい。それで「サシガメ」というのか。普通のカメムシは植食生が一般的らしいのだが、このサシガメ類は肉食であり、哺乳類などの血を吸う種もいるらしい。なんと恐ろしいことか。しかもめちゃめちゃ痛いらしい。wikipediaを見ていたら、「中央アジアの王達が捕虜を拷問するのにこの手の虫を使った」という話が書いてあった。触らなくてよかったと心から思う。

どうやら、夏場などは木の上の方にいてあまり目立たないのだけれど、冬場になると下の方に降りてくるそうだ。それであまり見たことがなかったのだろうか。いつもの道でも少し立ち止まって目を凝らしてみると、普段出会わなかった虫や植物にであうことが多い。こんな植物あっただろうか。なんだろう今の黒い虫は。

知らない隣人が草むらや畑にたくさん住んでいる。夏場はどこからともなく鳴き声が聞こえたりするけれど、どこにいるのかよくわからない。お互い普段は関わることのない存在で、それでもこんなに近くにいる。これが全部人間だったら大変だろう。草むらにたくさんの人が潜んでいて何かを喋っているのが夜な夜な聞こえてきたりしたら、眠るどころの話ではない。虫だからいいのだ。植物だからいいのだ。根本的に何か関係を持つことのできない存在だから、近くにいることできる。そういうこともあるのかもしれない。

 

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マルクス・アウレリウスの比喩:『自省録』第5章より

第5章はなかなかインパクトのある比喩が出てくる。第28節の「腋臭のある人間に君は腹を立てるのか。息のくさい人間に腹を立てるのか。その人間がどうしたらいいというのだ」という話など、突然出てきて驚いた。たしかにそれはその通りだと思うのだけれど。今回はそんな第5章の中から1つだけ比喩を見てみることにしよう。

彼は葡萄の房をつけた葡萄の樹に似ている。葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえば、それ以上なんら求むるところはない。あたかも馳場を去った馬のごとく 、獲物を追い終せた犬のごとく、また蜜をつくり終えた蜜蜂のように。であるから人間も誰かによくしてやったら、〔それから利益をえようとせず〕別の行動に移るのである。あたかも葡萄の樹が、時が来れば新に房をつけるように。

マルクス・アウレリウス『自省録』第5章第6節(岩波文庫、神谷訳)

この直前で、マルクスは三様の人々を挙げている。善事を施し見返りを求める者、見返りを求めないが心で密かに相手を負債者のように考える者、そして自分のしたことを意識しない者である。上にあげた比喩で葡萄の樹に似ているとされたのは、3つ目のような人々である。それを踏まえれば非常にわかりやすい話であろう。

「葡萄の房をつけた葡萄の樹」はその後その葡萄に何ら気を配ることはない(ように見える)。それらの葡萄が地面に落ちて自ら芽を出すかどうかは、葡萄自身の問題であって葡萄の樹の問題ではない。葡萄任せというものである。しかし、なぜそうするのが良いとされるのだろうか。葡萄がそうだからといって、人間もそうするべきだということにはならないのではないか。

ここで重要になってくるのが、第5章に目立って散見される(もしかすると、他の箇所でも見られるかもしれない)他の生物と人間のアナロジーである。例えば、第1節では「小さな草木や小鳥や蟻や蜘蛛や蜜蜂までがおのがつとめにいそしみ」と述べているし、先ほど引用した箇所では馬や犬や蜜蜂が登場していた。それらの生物たちはみな人間の模範となる存在として取り上げられている点に注目したい。

マルクスは別に理性的動物としての人間を貶めたいわけではないはずである。実際、第16節では「生物は無生物よりも高く、理性を有するものは単に生きているよりも高い」と述べている。それにもかかわらず、人間の模範として理性を有していない生物たちが挙げられているというのはいかなる事態なのであろうか

はっきりした答えはわからないのだが、マルクスが第14節で次のように述べていることが興味深い。

理性と論理の術はそれ自体において、またその固有の働きにおいて自足せる能力である。それは自己に特有の原理から出発し前に置かれた目標に向かって進んで行く。それゆえにこのような行動は「まっすぐな行為(カトルトーセイス)」と名付けられる。それはまっすぐな道を行くことを意味するのである。

理性と論理という術はそれ自体で「自足せる能力」であるという。第5章でマルクスはもう一つ重要な比喩を提示している。それはまた次の記事で扱おうと思うのだけれど、そこで全体の中にはめ込まれた部分として全ての存在者を考えている。だとすると、自足する術を持つ理性的存在者が全体にはめ込まれるという事態が生じていることになるだろう。そのような自足は、理性的存在者の優れた点でありながら、しかし他の生物たちに劣ってしまう原因にもなりうるのではないか。また次回、もう少し考えることにしよう。

 

自省録 (岩波文庫)

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フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』の企て

フランシス・ベーコン(1561-1626)の主著『ノヴム・オルガヌム』は「諸学の大革新」の第二部として1620年に発表された。実は第一部は遅れて1623年に『学の尊厳と進歩について』として発表され、順序としては逆になっている。岩波文庫の解説によれば、一部は「革新」の地ならし的な意味で重要なのであり、新たな企ては第二部『ノヴム・オルガヌム』に示されているということである。

諸学の現状について、それが恵まれていず、大きく前進していないこと、そして精神が自然界に対して自己の権能を行使しうるためには、以前に知られていたとは、全く別の道が人間の知性に開かれねばならず、かつ別の補助手段が用意されねばならないこと。

ベーコン『ノヴム・オルガヌム』序言(岩波文庫、桂訳)

引用は序言に付された副題のようなものである。ここで端的に問題点と企てが提示されている。現状の学問に対する批判、そしてそれを乗り越えるための新たな方法を考えようとしているということの二つが問題となる。

そもそも批判しようとする学問とはどのような分野であるか。当時(現代もそうかもしれないが)、機械的技術は日々発展し続けていた。ガリレイの振り子の等時性の発見は、機械の代名詞である「時計」に新たな発展を与えたし、17世紀には持ち運び可能な時計も開発されることになる。機械技術の分野が学問として考えられていたかどうかは私はわからないのだが(少なくとも、地位は低いものであった)、このような分野に関して批判がなされるわけではないのである。むしろ、ベーコンが挙げているのは「哲学および知的諸学」である。そのような学問は讃えられてばかりであり、前進がほとんどみられないと述べている。

たまたまより高級な考察がどこかに飛び出したりすると、俗見の風によってすばやくあおられ吹き消された。結局、時は流潮のごとく、軽くかつ膨らんだものを我々にまで運んでくるが、重くかつどっしりしたものは沈めてしまったのである。(ibid.)

さて、序言の中程でベーコンは学問に携わる様々な人々の類型を提示しては批判していく。例えば、〈創始者を越えようとしない人〉〈議論の支配権ばかりを求める人〉〈支配権をもとめないとしても様々な論拠に振りまわされる人〉など、様々である。その中でもとりわけ次のような点が批判される。

取りわけ見逃してならないことは、経験を試みる場合にあらゆる努力が、直ぐに最初から或る定まった実地の成果を、性急かつ時期早やの熱意で求めたこと、(あえて言えば)投光的実験ではなく成果的実験を求めた点である。(ibid.)

ここにあるのは、知性への過信である。経験や実験といったものをじっくりと確かめなくてはならない場面で、知性への過信は性急に成果を求めようとする。ベーコンが度々批判するような、結果ありきの実験はこのような態度に存するものである。そのような事態をさけるためにベーコンが強調するのは「人間精神の真の合法的な抑制」である。その点では、論理学が正当に用いられたとしても、「それは到底自然の微細な点」にははるかに及ばないのである。

そして、それに代わってベーコンが提示するものが、感覚による知覚から打ち立てられた学問なのである。

このような困難な事がらにおいては、人々の自力による判断もまた偶然の幸運も断念しなければならない。というのは知能がいかほど卓越していても、試行の冒険を数多く重ねてみても、それらのことを克服することはできないから。足取りは手引きの糸で導かれねばならないし、全ての道はそもそも感覚による最初の知覚から、確かな仕方で付けられねばならないのである。(ibid.)

こうして、企ては帰納法という方法の提示に進んで行くことになる(実際帰納法という方法自体は1607年の cogitata et visa ですでに見られるという, SEP)。この序言の後半にあたる神への祈りの直前で、ベーコンは婚姻の比喩を用いて次のようにまとめている。

そしてこのような仕方で、経験的能力と理性的能力(これらの間の身勝手で不幸な離婚および離縁状が、人間一家のあらゆるものを混乱せしめたのだが)の間の、何時までも変らぬ真の合法的な婚姻をば、我々は固めたものと考える。(ibid.)

ベーコンの方法論はまさに経験と理性を結びつけるものであった。経験の補助を借りて理性は少しずつ前進できるのであり、理性のみに基づいて推論を進めても独断に陥るばかりだということなのだろう。実際、17世紀の機械論は機械という経験的モデルを自然に当てはめ、次々と自然法則を発見していくことに成功したのである。

結局、ベーコンの帰納法とはいったいどのようなものだったのか。それはまたの機会にみることにしよう。

 

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)

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