p. 360 から。

日々の雑記。

機械的なリズム現象の可能性について(2/3):クラーゲスと自然のリズム

前節「限界のない操作可能性」からの続き。ロッシがベーコンを引用しながら提示した、自然に対する「操作の無際限性」へのひとつの反論がここで提示される。すなわち、クラーゲスの述べる「リズム」概念は、そのような「操作」可能性の埒外に置かれたものなのである。人間がリズムを作りうるとしてもそれは天才による限りであり、目的のために対象を作り上げるような操作によってではないのである。ところで、第3節では、この天才による跳躍を批判的に検討しなおすこととなるだろう。

2. クラーゲスと自然のリズム

クラーゲスのリズム論は、ロッシの言う自然に対する人為的操作の「限界に直面しない可能性」に対するひとつの反例を提示している。

リズムは—生物として、もちろん人間も関与している—一般的生命現象であり、拍子はそれにたいして人間のなすはたらきである。リズムは、拍子が完全に欠けていても、きわめて完成された形であらわれうるが、拍子はそれにたいしてリズムの協働なくしてあらわれえない。 [1]

このリズムと拍子の一方的な関係が示すのは、人間はリズムそのものを操作できないという事態である。私たちが操作可能なのは拍子に関してのみであり、あくまでリズムを「分割する行為、したがって規則付ける行為 [2]」が可能であるにすぎないと、クラーゲスは主張するのである。こうして、リズムが人為的操作の及ばぬ領域に控え隠れ続けるのであれば、ベーコン-ロッシが主張するような際限なき人為的操作の可能性はありえないこととなるだろう。本節では、クラーゲスがリズムを拍子に対して特権視する根拠を提示し、次節で、クラーゲスの議論によってベーコン-ロッシ路線の可能性が完全に絶たれてしまうのかどうかを、ライプニッツの認識論および機械に関する議論に依りつつ検討することにしよう。

 クラーゲスの『リズムの本質』において、「波」がリズムの代表的な具体例として頻繁に登場している。さらには、潮の満ち引きや人体における脈動といった、いわば人間の意図が及ばない自然的な領域において、彼がリズムと名付けるものは現れてくる [3]。とはいえ、クラーゲスは人間の為すことにはまったくリズム的なものがないとまでは考えていないようである。メトロノーム通りに演奏する初心者よりもそうではない専門家の方が、詩を韻律に従ってのみ朗読する子供よりもそうではない朗読家の方が、そして、分列行進よりも優美なメヌエットの方が、リズム的に優れていると述べている点などは、人間のリズム的なものに対する操作可能性を保証している [4]。つまり、芸術的な側面においては、人間もまたリズムに触れることがあるというのである。

 これらと対照的に、クラーゲスは「機械」や「機械的」という言葉をリズムと完全に相容れないものとして語る。

メトロノームどおりに正確に再現された音楽、韻律にあわせて朗読された詩句、分列行進など、すべてこれらに類する事象を、比較的魂なきもの、死せるものとして体験し、このような作業をつねに「機械的」という名で呼んでいることに注意しよう。「機械」という言葉を用いて表現するならば、機械はもっとも完全な規則現象であり、機械の運動はリズムを否定する!と言えるのである。 [5]

機械的な人為の次元はリズムと徹底的に対立している。これは芸術的な人為の場合とは異なっている。二つの人為の間にある差異の起源に関する考察は後に回し、ここではクラーゲスがなぜ「機械の運動はリズムを否定する」と強く主張するのか、その根拠を明らかにすることにしよう。

 クラーゲスは拍子とリズムを次のように明確に区別している。

拍子にはいずれも初めと終りがあるが、何は初めも終りもない。波はじじつ初めと終りを持たないが、そうすれば、それは字義どおり「無限なるもの」である。 [6]

現象の繰り返しにおいて、拍子は或る瞬間t1にはじまり次の瞬間t2において終わる。t1とt2の間に拍子が存し、非拍子的なそれ以外の時間系列と質的に隔絶されている。対して、リズムそれ自体はt1–t2の間といった仕方では隔絶を有していない。というのも、リズムにおける境界とは、ある無限小の瞬間における方向の対立だからである。例えば、それは正弦波における極値であり、数学的思考的によってのみ把握されうる。思考対象としてあつかわれるところの無限なるものは、例えば多角形から円形まで通貫した構成規則を概念可能にする。ところが、ある任意の事物にかかわる指示的判断においては、多角形は多角形として、円は円として現象するのみである。「それゆえ、多角形の現象がわれわれの念頭に浮かぶとすれば、多角形の辺を「無限」に増やそうと思っても意味のないこと [7]」、すなわち円にいたることはないのである。

 逆にいえば、多角形と円が質的に区別されるのは、指示的判断においてである。同様に、赤や青を私たちが見分けることができるのも、この判断においてであるとクラーゲスは議論を進めていく。もし盲人が「赤や青という名称でふたつの意味単位が表現されていること [8]」を理解し、光学に習熟したとしても、これら二つの色の現象を区別することはできない。

これらの現象がたんに体験されうるにすぎないのとおなじく、〔一般に〕持続的なものの現象は理解力にとっては到達不可能な体験内実である。 [9]

 こうして、持続的なリズムという現象はあくまでも直観的世界に属するものであり、把握可能な思考対象には属していない。このようなリズムの特徴は、クラーゲスをして機械的なリズムの不可能性を支持させることとなる。かつて、ジャンバッティスタ・ヴィーコが「真理の基準ないし尺度は当の真理自体を作ったということである [10]」と述べていたことを思い出そう。彼の語る「真なるもの」と「作られたもの」の置換可能性がここでは重要である。人間知性の短小さから抽象的な思考が生じ数学を作り上げることで、その知性は宇宙全体を表現しうる可能性をもつと、ヴィーコは主張している。クラーゲスが述べるようなリズム現象は思考対象の範疇に属さないという理由で、そもそも真偽の土俵にあがりえない。それゆえ、操作可能性からも外れてしまうこととなる。

 しかし、先に述べたように、芸術的な領域においては人為的なリズム現象が可能であるとされていた。同じ人為的な製作にもかかわらず、機械的なものを作ることと芸術的なものを作ることの間に違いがあるとすれば、それはいかなる点においてなのだろうか。例えばカントは『判断力批判』において次のように述べている。

芸術の産物について意識されていなければならないのは、それが技巧であって、自然ではないということがらである。とはいえ、それでも芸術の産物が有する形式における合目的性は、選択意志を拘束する規則によるいっさいの強制から、それがあたかもたんなる自然の産物であるかのように、自由なものと見えなければならない。 [11]

製作物であるところの芸術的なものは、まず技巧的でなくてはならない。この点で言えば、機械的なものも等しく技巧的であると言える。だが、芸術的なものにはさらに条件がある。すなわち、あたかも自然の産物であるかのように「自由なものと見えなければならない」のである。「芸術は自然であることもできず、自然でないこともゆるされない [12]」と熊野が指摘するように、ここには逆説的な事態が潜んでいる。つまり、あらゆる製作物は目的をもって作られ、目的に沿った仕方で規則的に部分が配置されるがゆえに、規則から自由ではありえないはずである。それにもかかわらず、完成した作品が自由なものとみなされなければならないのである。この逆説的事態を可能にするものとして、カントの言うところの「天才」が必要となる。天才とは人間のうちの自然であり、芸術家は、その自身の天才に基づいて技巧を規則づけ、芸術作品を作り出す。機械は目的を先におき、そのための規則に従って技巧を用いて製作されるものである。これに対して、芸術作品の目的は私たちに先立って知られているものではなく、すでに作られた芸術作品のうちに私たちが規則を見出すことで知られうる。

天分が技巧(芸術としてのそれ)に規則を与えなければならないとするなら、その規則はいったいどのような種類の規則ということになるのだろうか。問題の規則は、およそ定式にまとめられて指令に役立つといったものではありえない。そうなると、美しいものをめぐる判断が、概念にしたがって規定可能であることになるだろうからである。むしろ規則は、なされたところから、つまり産物から抽象されなければならない。 [13]

 こうして、芸術的なものは、たしかに技巧的だという意味では人為的なものである。しかし、あたかも自然的なものであるという点で、出来上がった作品それ自体はもはや人為というよりも自然的なものに属しているのである。この点で、機械は、ただ技巧的であるにすぎず、目的を据え、そのための規則に従った形でしか製作することができない。目的にしたがった規則を技巧に適用することは、その目的が思考対象である限りで可能である。ところで、リズム現象は思考対象ではなかった。それゆえ、私たちは天才による芸術作品としてでなければ、リズム的な機械、あるいは機械的なリズムを作り出すことはできないのである。

 

[1] L. クラーゲス/杉浦実訳『リズムの本質』みすず書房, 1971, p. 22.

[2] 同書, p. 21.

[3] 同書, p. 60–61.

[4] 同書, p. 23.

[5] 同書, p. 23–24.

[6] 同書, p. 31.

[7] 同書, p. 32.

[8] 同書, p. 33.

[9] 同書, p. 33.

[10] G. ヴィーコ/上村忠男訳『イタリア人の太古の知恵』法政大学出版局, 1988, p. 44.

[11] I. カント/熊野純彦訳『判断力批判』§ 45, 作品社, 2015. Kants gesammelte Schriften, hrsg. von der Königlich Preußischen Akademie der Wissenschaften, de Gruyter, 1902–, V, p. 306.(以下、Kant Vと略記)

[12] 熊野純彦『カント:美と倫理とのはざまで』講談社, 2017, p. 169.

[13] カント『判断力批判』§ 47. Kant V, p. 309.

機械的なリズム現象の可能性について(1/3):限界のない操作可能性

先日、リズム現象を哲学的に取り扱う演習があった。この小論は、そのさいに提出されたものである。とくに発表する予定もないので、三回に分けてブログに掲載することとする。

1. 限界のない操作可能性

 ギリシア神話において、プロメテウスは神々の炉から火を盗み人類に与えた。アイスキュロスが、人間への「技術」の教示の物語としてこの反逆を解釈したことで知られている [1]。後世のさまざまな解釈を経たのち、プロメテウスの物語はフランシス・ベーコンによって二つの挿話を付け加えられることとなった。一つは、人類解放を目論み人間身体へと降り立った救世主ヘラクレスの「受肉の挿話」、もう一つは火を受け取った人類がプロメテウスをユピテルに告発する「忘恩の挿話」である。とりわけ本稿では後者が重要である。現代の研究者ロッシは、ベーコンの科学方法論の主要なテーマを象徴するものとして、忘恩の挿話を解釈している。

自らの技術や固有の性質を告発する者たちの行いは、人間の本性と人間の持つ知識を称賛する人々の行いよりも神々に喜ばれる。人間を称賛する人々は、人間の持つものを前にしてあたかも永遠の恍惚にあるかのように、人間の努力の終わりに到達したと考えてもはや何も新しい探求を行わない。人間とその技術を非難できる者のみが、新しい研究へ向かって、少数の尊大な哲学者の奴隷になることを拒否するようになる。 [2]

 忘恩の挿話とは、一人の英雄プロメテウスの所業にとどまることなく、自分たちの研究を推し進めようとする人類の物語なのである。これは、ベーコンが目指した諸学の大革新とどのように関わるのだろうか。彼は、真理の探求を次のように二つの道に分類している。

ひとつは、感覚および個々的なものから最も普遍的な一般命題に飛躍し、それら原理とその不動の真理性から、中間的命題を判定し発見する、この道がいま行われている。もうひとつの道は、感覚および個々的なものから一般命題を引き出し、絶えず漸次的に上昇して、最後に最も普遍的なものに到達する、この道は真の道ではあるが未だ試みられてはいない。 [3]

さらに、続くふたつの節で、「ひとりに任された知性」が基本的には前者の道を採るものであること、また、そのような知性が後者の道を採ったとしてもわずかにしか前進しないことを彼は指摘している。さらにここから、「自然の予断」を避け「自然の解明」へと向かうこと、その際には四種の「イドラ」に警戒しなければならないことへと議論は進んで行く。以上のような自然の解明を達成するための道程において、一人の英雄の学ではなく共同体の学であることが重要な条件であり、このことは次の一言に集約されうるだろう。「科学の完成はある個人の機敏さや能力ではなく、努力の継続に基づくべきなのである [4]」。

 人間は自然の法に従う存在者であり、自然の因果の鎖に縛られて生きている。「自然の下僕であり解明者である人間は、彼が自然の秩序について、実地により、もしくは精神によって観察しただけを為しかつ知るのであって、それ以上は知らないし為すこともできない [5]」。しかし、逆に言えば、ロッシが指摘するように、自然を観察しうる限りについて言えば人間は「自然の主人」なのである [6]。ところで、共同体の学においてこそ可能になるような「努力の継続」は、人間の限られた才能を強化し、自然への継続的な適応を可能にする。そのとき、私たちはどれほどまで「自然の主人」でありうるのだろうか。私たちは、ロッシが結論する次の可能性をどのように捉えるべきだろうか。

自然に対する〈自由な操作〉(operatio libera)の可能性とは、求められる全ての変更を実行する可能性を示すのではなく、自然法則を考慮し、自然の活動の拡張になりうるような改変の活動において決して限界に直面しない可能性を示しているのである。 [7]

 次節はこちら

[1] P. ロッシ/伊藤和行訳『哲学者と機械:初期近代における科学・技術・哲学』学術書房, 1989, p. 183.

[2] 同書, p. 189.

[3] ベーコン/桂寿一訳『ノヴム・オルガヌム』§ 19, 岩波文庫, 1978, p. 75. (一部変更)

[4] P. ロッシ (1989), p. 190. F, Bacon, “Promtheus, sive status hominis”, De sapientia veterum, in Works, XIX, pp. 675–676.

[5] ベーコン『ノヴム・オルガヌム』§ 1, p. 69.

[6] P. ロッシ (1989), p. 191.

[7] 同書, p. 191.

「ライプニッツ『形而上学叙説』研究会」の成果と訳

はじめに

2017年1月頃から、中期ライプニッツの主要な著作として有名な『形而上学叙説』の研究会をオンライン(現在は google ハングアウト)で行っている。基本的には、ライプニッツを専門としない人や、さらには哲学を専門としない人に向けた会として行っているが、議論はかなり詳細な部分にまで及びライプニッツを研究している私自身にとっても有意義なものとなっている。

形而上学叙説』は、1685年の暮れ頃から翌年初めの短い期間に書かれたテクストである。その内容は、彼の後期形而上学すなわちモナドロジーとは異なっている。ライプニッツ研究の大家として知られる Fichant 氏の研究にもあるように、中期-後期形而上学の連続性は、『叙説』の直後に交わされた「ライプニッツ-アルノー往復書簡」において見出すことができる。ところが、『叙説』それ自体では、モナドロジー的実体論とは一線を画すような完足個体概念による実体論が展開されているのである。ただし、この実体論の移行の間に完全な断絶が存していると見るかどうかは議論がわかれるところであろう。その両者の距離を見定めるということこそ、結局のところ、彼のモナドロジーの姿を浮き彫りにするためには必要不可欠な作業なのである。部分が全体を表現しているということがモナドロジーのひとつの要であったように、彼の哲学的生涯における部分もまた彼の哲学全体を映し出しているといえよう。

テクスト

『叙説』原文の主要な版と邦訳及び注釈書を以下にまとめておく。

Briefwechsel zwischen Leibniz, Arnauld und dem Landgrafen Ernst von Hessen-Rheinfels, ed. C. L. GROTEFEND, Hannover, 1846.
『叙説』はライプニッツの生前には結局未発表のままであった。19世紀の中頃にようやくグルーテフェントによって公刊されることになるが、当時はあまり注目されることはなかったらしい。たしかに、有名な「モナド」という言葉もここには登場しないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。この後、1857年に公刊されたフーシェ=ドゥ=カレーユ版というのも存在している。

Die philosophischen Schriften von G. W. Leibniz, hrsg. von C. I. Gerhardt, Weidman, 1875–1890 (Nachdr., Olms, 1978), Bd. IV, pp. 427–463.
いわゆるゲルハルト版と呼ばれるものであり、GP や G と略されることが多い。アカデミー版が出版される以前はこちらが主に参照されていた。現在でもアカデミー版未公刊のテクストに関してはこちらをよく参照する。

Sämtliche Schriften und Briefe, Akademie Verlag, 1923–, Sechste Reihe, Vierter Band, pp. 1529–1588.
いわゆるアカデミー版と呼ばれるものであり、Ak や A と略されることが多い。現在のライプニッツ研究ではこの版が基本となっている。しかしながら、未公刊のテクストも多く、後期哲学関連のテクストのほとんどがまだ公刊されていない。ただし有名な後期著作である『人間知性新論』 だけは、諸事情(いろいろあるらしい)により、すでに公刊されている。『叙説』に関しては、ゲルハルト版がライプニッツも目を通したとされる写本をもとにしている一方で、アカデミー版はライプニッツ自身の手稿をもとにしている。アカデミー版にはゲルハルト版やほかの写本などの異同が示されており、原文を参照したいときにはまずこの版を見るべきであろう。

Discours de métaphysique suivi de Monadologie et autres textes, éd. M. Fichant, Gallimard, 2004.
研究者はアカデミー版を見るべきかもしれないが、異同まで気にせず読むのであれば、この Fichant 版が良いと思う。ありがたいことに『モナドロジー』や他の関係テクストも一緒に収録されており、ライプニッツの基本的なテクストをおさえている。さらに、この本の最初に附された長い(130頁くらいある)イントロダクションは、中期-後期形而上学の連続関係を論ずるさいによく引用される箇所であり、重要な文献である。注も充実しており、研究会ではこの本の注にはだいぶお世話になっている。安いということもあり、一冊持っておくのにはおすすめ。

Discours de métaphysique, correspondance, éd. C. Leduc, Vrin, 2016.
今のところ(2018年4月現在)最新の版だと思う。この版のありがたいところは、左右余白にアカデミー版のページ数が附されているという点である。最近の論文での引用を手軽にたしかめることができる。また、「ライプニッツ-アルノー往復書簡」も収録されている点は重要である。この書簡は『叙説』をめぐるさまざまな問題に関するものであり、両テクストを合わせて読むことで『叙説』の理解が深まることは確かであろう。あと、これは本質的なことではないかもしれないが、紙質が(多少だけど)良いので破ける心配がないのも嬉しい。

形而上学叙説』, 河野与一訳, 岩波文庫, 1950.
日本におけるライプニッツ研究の歴史は古いが、その中でも彼の翻訳業は極めて重要な意味を持っているだろう。岩波文庫に入ったのは1950年であるが、1925年に哲学古典叢書として岩波書店から出版されていたものを改訳したのが、この訳である。解説を見ると、大正12年(1923)の夏から翻訳に着手したとある。そのきっかけが、安倍能成氏と西田幾多郎氏にあると言うのだからすごい。哲学分野においては日本最古の学術雑誌『哲学雑誌』(『哲学会雑誌』から改名)に、1916年ごろから続けてライプニッツの論考が発表されており、桑木厳翼氏や井上哲次郎氏、田辺元氏、西田幾多郎氏など当時の主要な顔ぶれがライプニッツに注目していたことがわかる。そんな空気の中でこの邦訳が出たのはある意味必然であったかもしれないが、それにしても、今読んでも勉強になる訳である。ただし、現在はちょっと手に入りづらいのと、旧字体で読みづらいなどの理由で、あまりおすすめはしていない。

 モナドロジー・形而上学叙説』, 清水富雄・竹田篤司・飯塚勝久訳, 中公クラシックス, 2005.
『叙説』の部分は清水・飯塚訳である。この翻訳は、1969年の『世界の名著 25』およびそのソフトカバー版『世界の名著 30』(1980)をそのまま持ってきたものである。実は『世界の名著』ではスピノザと一緒に収録されており、ライプニッツ著作を『エチカ』とともに読める優れもの(?)であった。それが中公クラシックス版ではライプニッツ著作だけになってしまい、ちょっと残念ではある。全体的に(特に『モナドロジー』は)すこし訳が緩めではあるが、手に入りやすさと、『モナドロジー』も一緒に収録している点で、彼の著作をとりあえず何か読んでみたいという方にはおすすめの一冊である。

ライプニッツ著作集』全10巻, 下村寅太郎 山本信 中村幸四郎 原亨吾監修, 工作舎, 1988–1999.
第8巻に『叙説』が収録されている。西谷裕作氏の翻訳である。訳注が充実しており、ライプニッツが濁して「『事物が善いのはいかなる善の法則によるのでもなく、まったく神の意志によってである』と言う人」といっているところにも、注で「デカルトを念頭においている」と示してくれている。『ライプニッツ著作集』は現在第2期の刊行が進んでおり2018年5月には第2期の最終巻が出る予定らしい。世界的に見てもこれだけライプニッツの翻訳が出版されているのは珍しいことであり、工作舎さんには感謝せずにはいられない。少しお値段が張るので個人で所有するにはつらいかもしれないが、第8巻と第9巻がライプニッツの前期・後期哲学著作の巻となっており、興味がある方は持っていて損はないだろう。

形而上学叙説・ライプニッツ-アルノー往復書簡』, 橋本由美子監訳 秋保亘 大矢宗太朗訳, 平凡社ライブラリー, 2013.
個人的なことであるが、私に哲学を教えてくれた橋本由美子先生が監訳したものである。そのような個人的な思い入れもあるが、日本語として優れているとの評価を人々から聞くので、客観的にみても良い翻訳なのだろう。さらに、この訳書の良さとして強調したいのは、『叙説』と「ライプニッツ-アルノー往復書簡」の対応関係を明確に示している点である。『叙説』の本文中に書簡の対応頁数を、書簡の本文中に『叙説』の対応節番号を挿入することによって相互の連関が示され、どちらの著作もこれまでとは違った様相を呈している。手に入りやすさ、値段、そして訳の親切さなど、どの点をとっても私はこの翻訳を人々におすすめしたい。

P. Burgelin, Commentaire du Discours de Métaphysique de Leibniz, PUF, 1959. 
『叙説』の注釈書である。節ごとに長いコメントをつけているものというのは、実はけっこう珍しく、研究会ではかなり重宝している。ただし引用の仕方が雑なので原典を参照しようとするとなかなか難しかったりと、難ありな研究書ではある。とはいえ、『叙説』という濃縮されたテクストを読む上で、まず解凍作業が必要であり、そのさいには丁寧に他のテクストに関連付けながら解説してくれているこのような注釈書は、大変参考になるのである。『叙説』を節ごとに解説してくれている研究書が他にあれば、ぜひ教えていただきたい。情報求む。

対訳資料と解説

研究会では少しずつ対訳を作成しており、ここではそれを順次公開していく(リンクを押すとDropboxのPDFに飛びます)。

  1. 基本的にはAkademie版を底本としている。
  2. 段落に関してはアンリ・レスティエンヌ版および橋本訳を参考にしつつ、適宜変更している。
  3. 原文中の >< は版によって異なる語句が挿入されている箇所を示す。
  4. 原文中の[]は版によって異なる語句が使用されている箇所を示す。
  5. 原文中および本文中での異同を示す際に使用する記号は次の通り。Gerhardt版(l2)、フィシャン版(f)、自筆による草稿(L2)、秘書による写本(l1, l3
  6. 注釈は現行の諸々の版を参照している。各注頭に参照した版を記号で示す。アカデミー版(A)、Fichant版(F)、工作舎著作集(O)、橋本訳(H)。また訳者(M)。その他は適宜指示する。 
  7. 注での引用は既訳が存在するものはそれらを参照している。

第1節 神の完全性について、また神がこの上なく望ましい仕方で全てを為すこと。

第2節 神の作品において善性は存しないとか、善や美の諸規則は恣意的であると[L2:あるいは人間たちの想像力のうちにしか存していないと]主張する人々に対して。

第3節 神はより善く為すことができたはずであると考えている人々に対して。

第4節 神への愛は神が為すことに関して全面的な満足と承服を要求するということ。だからといって静寂主義に陥ることはない。

第5節 神の行いの完全性の諸規則とはいかなるものであるか。そして、諸々の手段の単純さは諸々の結果の豊かさと均衡しているということ。

第6節 神は秩序から外れては何事も為さず、また規則に従わない出来事をでっち上げることもありえない。

第7節 奇蹟は下位の準則に反していても、一般的秩序には合致しているということ。そして、一般的意志と特殊的意志によって神は望み、容認するということについて。

第8節 神の働きと被造物の働きを区別するために個別的実体の概念は何から構成されるのかを説明する。

 

読書会考 1/5「読書会を考えることについて 」

さいきん読書会に関する話題をよく目にする。それらの議論に一石を投じようなどという気持ちは毛頭ないのだが、私も読書会にお世話になっている一人の人間として少し考えてみようという気になった。 議論へコミットする気がなくても、思惟はつねに状況から影響を受けるのだ。そういう意味ではさいきんの話題と全く無縁ではないとも言える。

題名にも「1/5」と書いたように、私はこの記事を数回にわけて投稿しようと考えている。理由は単純に一度にいろいろ考えるのが億劫だからにすぎない。あえて次のようにこじつけてもよい。読書会とはある期間継続して書に向かうものであるがゆえに、読書会について考えることもまた継続的であるべきだ。

いろいろ考えたい、とはいえ話題を限定しておくことは必要だろう。読書会概念の外延は非常に広い。詩、小説、専門書、教科書…読めとし読めるあらゆる対象が読書会では扱われている。さらに、おなじ本を扱っている読書会があったとしても、その会が何を目的とするのかによって全く違った雰囲気の会となることは容易に想像がつく。私は哲学の大学院生だということもあり、非常に限られた読書会についてしか実際の経験を持ち合わせていない。それゆえ、個々の読書会についてあれこれと考えることは断念しなければならない。そのようなことは、実際にさまざまな読書会に参加して体験しなければ書くべきではないし、そもそも書けない。このことからもわかるように、私が書くことのできる話題は限られている。

まず読書会一般について書くことは可能であろう。例えば読書会は単なる読書とは異なるということは、あらゆる読書会に共通して言うことができるだろう。それゆえ、読書会と読書がどのように異なるのかという問題は、個々の場面から切り離して考えることができる。

そして、もう一つだけ私に許されているのは、哲学書および哲学研究書の読書会について書くことであろう。唯一このような類の読書会は主催したり参加したりの経験がある。この乏しい経験から何事かを述べることを許していただけるならば、一人で哲学をすることと複数人でそれをすることの違いや、Skypeで行う読書会とおなじ空間に集まって読書会をすることの違いなど、より具体的な話題を提供することができるだろう。

五回に分けておいてよかった。もうお昼休みがおしまいだ。第一回は話題を限定するだけになってしまった。とりあえず、具体的な話から入った方がいいだろうから、次回はSkype読書会の意義と困難について簡単に書くことにしようかと思っている。そんな奇特な人がいるかどうかわからないが、気長に待っていてほしい。

温泉雑記:湯田中渋温泉(2018/1/18~19)

「牛に引かれて善光寺参り」という仏教説話があります。牛を追いかけていったら善光寺に辿り着いちゃったというお話でありまして、それもまた仏さまのお導きということになっております。はてさて、仏さまに導かれてなのかどうかはともかく、多くの人々が昔から善光寺へ参ったもので、様々な道が善光寺へと通じているものであります。群馬の草津から善光寺までの道もまたそう行ったルートの一つになっておりまして、旅路の途中にはさまざまな旅籠屋が立ち並んでいたそうです。

今では温泉街として独立して名の知られた渋温泉も、昔は善光寺参りの途中に足を休めるための場所でありました。鉄道の開通や、情報通信革命は人の流れに影響をあたえるものでして、徐々に一つの観光地として有名になったこの渋温泉は、いまではすっかり草津に負けずとも劣らない温泉街となったそうであります。

さて、先日私もこの渋温泉へと行って参りまして、大変良い旅だったものでちょっと感想でもと筆をとった次第であります。便利な時代ですので、都内からでもあっという間です。長野駅から一時間ほど長野電鉄に揺られていくと湯田中にたどり着きます。湯田中から徒歩で二十分ほど川沿いを歩くと、あっという間に渋温泉というわけです。面白いのは、長野電鉄の特急車両でして、古い方の新幹線や特急車両を使いまわしているため、乗る度に全然違うデザインなのです。これはこれで、乗る楽しみがあるものですね。

今回私が宿泊したのは「金具屋」さんというお宿でして、最近では「千と千尋の神隠し」や「このはな綺譚」といったアニメや漫画の聖地としても有名だそうです(私はあまり詳しくはないのですが)。このお宿、どうやら先ほど述べたようにまだこの地域が観光地として有名になる以前から在ったらしく、創業は宝暦八年、つまり西暦でいえば1758年だというのです。明治から昭和初期にかけて大きく建物を増やし、ほぼ現在の形になった金具屋は、いまでもその当時の木造建築のまま営業をしておりまして、幾つかの棟は有形文化財にも指定されているというものであります。

有形文化財であったり、歴史があったり、することそれ自体も貴重なことではあるかと思いますが、私がそれ以上にこの宿に驚いたのは、その装飾であります。現在の九代目にあたる方が説明してくれたことによれば、昭和初期の第増築を行う際に、多くの宮大工を雇い、当時の六代目が彼らを連れて日本全国を回りそれぞれ地域特有の建築技法を学ばせてこの宿に再現させたというのです。この辺は、実際にHPなどで写真を見ていただくのが良いでしょう。

渋温泉街には外湯が九つありまして、この温泉街に宿泊している客は好きにそれらを使用することができるのも魅力の一つであります。しかも、それぞれ異なる源泉を有しているそうで泉質や効能も違うそうなのです。九十歳を超えたというおばあさんと、その息子さんで営んでいる宿近くの喫茶店で聞いた話では、一、六、九の外湯がおすすめということでありました。選べないときは地元の人に教えていただくのがいいですね。

外湯も十分に楽しめるのと同時に「金具屋」さんの中にも内湯がたくさんありまして、全部で八つの温泉が用意されておりました。どれも装飾が凝っていることもありますが、内湯も四つの異なる源泉から掛け流しでやっているということで、短期間にこんなに多様な温泉に入ったのは初めてかもしれません。

一泊し、出発する日の朝、源泉ツアーというものに参加させていただきました。どうやら、宿が独自の源泉を自分で保有しているというのは珍しく、普通は共同で一つの源泉を分けて使用しているそうなのです。共同ですと、その源泉を見学というわけにもなかなかいかないのですが、このお宿では自家源泉を四つ保有していて、それらを見せてくれるというわけなのです。どういう仕組みで温泉が汲み上げられているのか、そして、どんなメンテナンスが必要でという、マニアックな温泉話を聞くことができました。なんとも面白い経験ばかりです。

いまのように医学が発達する以前は、温泉は一つの薬でありました。療養のために温泉地に滞在するということも多々あったということはよく聞くことであります。そのような時代と比べると人々の温泉に対する関心はより精神的なものへと移り変わってきたように思われます。身体であれ精神であれ、それらは切り離すことのできない一つの人間です。癒しの効果がどちらに作用するものであるにしろ、人間にとって、温泉が癒しであるということは変わらないのでしょう。「いい湯だなぁ」と思うことは、年に一度くらいあってしかるべきだと、温泉旅行に行くと感じるのです。どうでしょうか。

自分用:読書メモまとめリンク集

G. ドゥルーズ/堀千晶訳『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』河出文庫, 2018.

ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』

 

F. Duchesneau, “Les modèles du vivant de Descaretes à Leibniz”, Vrin, 1998.

Les modèles du vivant

 

G・ドゥルーズ檜垣立哉・小林卓也訳『ベルクソニズム』法政大学出版局、2017.

ドゥルーズ『ベルクソニズム』

 

清水高志『実在への殺到』水声文庫、2017. 

清水高志『実在への殺到』

 

佐々木能章ライプニッツ術:モナドは世界を編集する』工作舎、2002.

佐々木能章『ライプニッツ術』

 

E・J・エイトン/渡辺正雄、原純夫、佐柳文男訳『ライプニッツの普遍計画』工作舎、1990.

エイトン『ライプニッツの普遍計画』

 

ジャンバッティスタ・ヴィーコ/上村忠男訳『イタリア人の太古の知恵』法政大学出版局、1988.

ヴィーコ『イタリア人の太古の知恵』

私の2017年を振り返ります

確認してみるとどうやら前回ブログを更新してから、すでに100日以上が経過していました。こまめに何か書いておけば、まとめて振り返ることもないのかもしれませんが、忘れないうちに今年あったことを書き留めておこうという気になりました。というのも、大掃除をしていたら、押入れの中から12歳の頃に書いた文章が出てきまして、そこには当時の自分の状況がいろいろと書かれていました。15年近く前のことになるので、もうすっかり覚えていないことばかりでしたが、どうやら「私」自身であるところの三浦少年が、悩んだり希望を持ったり楽しんだりという感情を今と同様に身にまとって生きていたのだなと思うと、愛おしくなるものです。今もまた、15年後、40歳をすぎた「私」自身に向けて、あなたを想い、こうして何かを残しておこうと思い立ったわけです。

2017年1月

本当ならば前年の12月初めに修士論文を提出するはずだったのですが、なんともなかなか書き上がらず、結局全体のうちの1/3くらいを教授に渡し2016年度の修士課程卒業を諦めたのでした。しかしながら、この時点でだいぶ自分の解釈の方向性などは固まっていまして、その内容を一度どこかで発表して意見を聞こうと思った矢先、ちょうど近世哲学の研究会で発表をする機会を得ることができました。1月21日、東洋大学で開催されたこの研究会で「ライプニッツにおける有機体概念とその知解可能性—シュタールとの論争を中心にして—」という発表を行いまして、いくつかの重要な質問やアドバイスをいただきました。面白いのは、この時期の私はまだ « organisme » という語を「有機体」と訳していたということであります。私自身はこの語を数ヶ月後には「有機的機構」と訳すことになりますが、まだどのような訳語を採用するべきか悩んでいるところだったのです。訳語に関する苦労は明治期の西洋哲学需要を顧みるさいによく目につきますが、まだまだ悩まれるべき語は多いのです。とりわけ時代によって意味の変化する語、いや、あらゆる言語は変化しつづけているわけですが、そのような変化のなかで明らかに身の丈に合わない服を着せられた訳語というのも存在しておりまして、ライプニッツが述べるところの « organisme » もまた、そういった言葉だったわけです。

2017年2月

大学の基本的な授業はすべて終わったのですが、最後に集中講義というものが2月初頭まで続いておりました。「リズム」概念に関する集中講義を毎年受講している私は、この年もこれに出席し、ちょうど2月半ばほどまでレポートの作成に追われることとなりました。「自然の秩序と機械の秩序—ライプニッツ哲学における機構的力に関する試論—」という題名で提出したこの小論は、ライプニッツの機械概念に関する小さなまとめとなりました。17世紀という時代は一般にデカルトに代表されるような「機械論」の時代とされますが、そもそもその「機械」とは何なのか、それについて一度考えておく必要があったのです。現代、そして今、私は椅子機械に座り、机機械に乗せた、キーボード機械で、パソコン機械に、文字を入力しているわけですが、これらが機械であることの共通性とはどこにあるのでしょうか。このことが「リズム」概念と結びつくのかどうかは、非常に怪しいところですが、しかし、混沌とした暗闇で歌う鼻歌が自らの周りを秩序づけるように、機械もまた、独自の秩序を有する一つの場所なわけですから、この点で何か結び付けてもよいのではないかという思いもあるのです。ともかく、ここで機械について考察したことはこの一年のなかで重要な意味を持つこととなりました。

2月にはもう一つ重要なイベントがあったことを忘れてはいけません。吝嗇な私は旅行をいつまでも忘れずにおきたいタイプでして、せっかく行ったのに忘れるなんてもったいないと思ってしまうのですが、まさにこの旅行もまたいつまでも忘れずにいたい旅行の一つとなりました。伊香保温泉という場所に行くのは初めてでしたが、なるほど、ほどよい程度にお店が立ち並び、ほどよい程度に寂れた(これは時期もあったのかもしれません)、非常にほどよい温泉地でありました。長い石階段の途中にはおみやげ物屋さんや、小さなバーが立ち並び、階段を登りきると神社がひっそりと建っておりました。まだ雪の残る境内を、息を白くさせながらしらたまさんと歩いたのを覚えています。旅館もすこし良いところに泊まりまして、とても良い気持ちで過ごすことができたように思います。温泉地というのは概して温泉やその周りの狭い温泉街を楽しむものですので、宿泊する場所も思い出の非常に大きな割合を占めることになるわけです。ですので、温泉旅行に行く際には、できるだけですが、宿を良いところにしておくことが重要だと私としらたまさんは考えたのでして、それは結果的にビンゴだったのでした。

2017年3月

この調子で書いていくと非常にながいブログになってしまいそうですが、短いスパンで書いておかなかったツケということで仕方なく受難していきましょう。さて、実は2月から私は新しいバイトを始めておりまして、2月、3月はそれまで大学2年生の頃から続けておりましたパン屋さんのバイトと、二つ掛け持ちということとなっておりました。研究室の先輩が自分が辞めるのでだれか代わりにということで探しておりましたところ、私もちょうど「パン屋さんの早朝バイトはそろそろ眠いな…」と思っておりまして、そこで是非ということになったわけです。新しいバイトを始めるというのは不安なものですが、それもなんとか乗り越えて、3月にはもうすっかり職場に慣れることができていたように思います。しかし、バイト二つ掛け持ちというのは、なかなか辛いものでして、この時期は週6くらいで働いておりました。実は大学1~2年生のころも、パン屋さんと本屋さんを掛け持ちしておりまして、当時もなかなか大変だったのですが、本屋さんが経営難で潰れまして、幸いということもないですが、パン屋さんのバイト時間を増やしてなんとかしのいでいたわけです。新しいバイトは時給もよくなり、事務的な労働がメインとなったので、だいぶ研究のほうにカロリーを回せるという感じがしております。ありがたいことです。

2月に引き続き、3月にもまた旅行に行ったことを書き記しておきましょう。こちらは、大学での個体化研究会のメンバーで行った箱根であります。さぼてぬアザラシさんの手配で安い宿をとっていただいたりして、非常に楽しい旅行となりました。みんなで星の王子さまミュージアムや、大涌谷に行ったりと、満喫に満喫を重ね大満喫でございました。ふだんは哲学の話題ばかり話している私たちが…いや、居酒屋でいつも哲学の「て」の字もないような話をしていたかもしれませんが、こうして旅行に行ってのんびりと「いい湯だねぇ」という会話をしてみると、どうもなんだか新鮮で素晴らしいことであったような気がいたします。

2017年4月

お花見というものには、わりと欠かさず行くタイプであります。桜は毎年咲くにしても、やはり来年までは再び見ることはできないのでありまして、夏頃にみておけば良かったと思っても遅いのです。そういうわけで、行けるときに行っておこうという気持ちが毎年この時期になるとどこからともなくやってきて、私を上野へと差し向けるのです。ちょうど研究室の人々で花見をやるというイベントがありまして、そこに私も参加させてもらうことになりました。貢物は日本酒。上野公園から少し歩いた御徒町のほうにふくはら酒店という大きな日本酒屋さんがありまして、そこで「花の香」というお酒を手に入れ持って行きますと、これが非常においしくてつまみもなしにグイグイ呑めるので一升瓶がすぐに空いてしまったのでした。おいしい日本酒は本当に嬉しい飲み物ですね。

春は天気が不安定で突然雨の日が降ったりいたします。晴れの日ばかりがいい天気だということに少し飽き飽きしていた私は、今年はどうやら雨を褒めて行きたいという気持ちが強かったように思います。雨の音だっていいじゃない、雨上がりには空気も澄んでいいじゃない…雨のいいところを探しているうちに、すっかり雨のことが気に入ってしまったわけです。

恩師であった哲学研究者の橋本由美子先生が無くなったのもこの月のことでした。先生のことは改めて別のブログ記事で書きたいと思っていますので、ここでは出来事を挙げておくだけにします。4月19日のバイトの帰り道、ふと開いたメールで、前日に橋本先生が亡くなったことを知った私はひどく動揺したのを覚えています。24日、25日で通夜と告別式に出席して、私はまだまだ先生と話したいことがあったのだと悔しい気持ちでしかありませんでした。

2017年5月

日本哲学会という、大きな哲学の大会がこの月に開催されました。多くの哲学研究者たちが集まるこの学会では、いくつかの部屋にわかれて同時進行でいくつもの発表が行われることとなります。聞きたい発表が被るともどかしいのですが、多くの人々がそれぞれ自分の研究を発表している空間というのはなんとも楽しい気持ちになるものです。私は例のごとく近世哲学関係が集中している部屋にこもって人々の発表に耳を傾けておりました。一人の研究者が手に負うことのできる領域など本当にささやかなものでしかありません。しかし、こうして多くの人々が集まって知識を共有することができるのならば、むしろこの方法でこそ、ある一つの小さな研究は大きな発見へと結びついていくのでしょう。何か素晴らしい本はたしかに誰か一人の著作かもしれませんが、その背後にはやはり多くの研究者たちの共同体が控えているのです。天才を待ち望む前に、私たちは協働していかねばならないと考えております。

2017年6月

再び今年も修士論文のことを真面目に考える時期がやってきたのでした。修論ガイダンスが開かれ、去年同様の諸注意を聞き、そろそろ書き始めなければという焦りを感じました。もちろん修士論文というものは、制度を無視すればいくらでも時間をかけていいと思いますし、逆にあらゆる分野に画一的な仕方で設定された2年という標準には反発心もあるわけですが、一方で成果を出していくことも重要ではありますので、なんとか今年中には書き上げたいと思い立ったのです。あらゆる文章がそうですが、書き始めてしまえば特に苦痛ではないのですが、それを始めるあの一瞬がなかなか難しいと感じています。不思議なものですが。それを肝に銘じつつ後で全部書き直すつもりで、前年は全く手をつけていなかった第1章に着手し始めたのが6月でした。

2017年7月

機械論と有機体論という二つの異なる語によって示された方法論は、はたしてどのような点で異なり、どのような点で一致しているのかということを考え始めたのがこの月でありました。ノートを見返してみるならば、「目的と手段の完全な一致は無限を媒介にして初めて可能になる。不十分な手段は目的との断絶を生むのである」というなぐり書きを見出すことができるのですが、まさにこの点において機械論と有機体論の差異を考えていくこととなったのです。ライプニッツ哲学において重要な概念である「最善」とは、手段も考慮した上での最善であるというのは様々なテクストに散見されることですが、このことはライプニッツが有機的な物体としての生物を考えるときにもまた重要になってくると考えていくわけです。これは当然といえば当然のことなのですが、従来はあまり指摘されてこなかったように思われます。たしかに、従来の研究では、どうやらライプニッツの生物概念においてこそ、目的因と作用因は重なって考えられているということは指摘されてきましたが、それがどのようにしてなのかという点については明らかではありませんでした。このころから、私はどのように生物概念における目的と作用の二重性が可能になっているのかという問題に潜り込んでゆくこととなりました。

2017年8月

ちょうど『形而上学叙説』の読書会が奇蹟に関する箇所にたどりつき、私はライプニッツの奇蹟論についても考えていくこととなりました。それまで私は奇蹟論というものが、単に神学に関わるものでしかないと考え、自分の興味に大きく結びつくものではないと考えおりました。しかしながら、実際に見てみるとどうやら奇蹟論は自然学においても重要であり、また形而上学的にも重要であることがはっきりとわかるようになっていきました。自然神学における奇蹟論は、自然学と結びついて然るべきなのです。奇蹟とは何かということについて、ざっくりと言うならば、「自然学的に十分な原因のない出来事」ということになるでしょうか。もちろん、この(最善であるところの)世界に生じる出来事ですから、あらゆる出来事には理由があります。そして普通はこの理由というものは、自然学的な原因と重なっておりまして、自然学的な原因のないような出来事は生じないわけです。例えば、火のないところに煙は立たないようにです。一方で奇蹟というのは、火のないところに煙が立つような出来事、ということになるでしょう。しかし理由がないとは言えません。つまり、神が自然学的な原因を抜きにして何らかの理由で直接に煙を立てたと、もしそのようなことがあれば言われうるのです。逆に言えば、奇蹟ではない出来事は十分な自然学的原因を保障されているということでもあります。この点が、自然学において非常に重要だと私は考えたわけです。

2017年9月

8月30日から9月1日にかけて夏休みの旅行ということで、山形県の月山という霊峰に登ってきたことが今年一番の思い出かもしれません。月山は湯殿山羽黒山という三つの山とともに出羽三山という信仰対象を構成しておりまして、今回の旅行ではこれら三山を全て回ることができました。今年出版された『湯殿山の哲学』という山内志朗先生の著作を読んで思い立った旅でしたが、これは非常の面白いことであったと思います。出羽三山修験道の修行の場として知られておりまして、ところどころに名前の付いた自然の岩が存在し、これらをたどって歩くことが重要になってきます。つまり、単なる登山ではなく、物語化された自然を歩くということが修験道の本質的な要素となっているのです。私は修験道者でもありませんし、修行をしようと思って歩いたわけではないのですが、私のリュックには『湯殿山の哲学』が詰め込まれておりまして、むしろ私はこの著作の物語を歩いたのであります。何百年もの間、物語のうちで存在し続けてきたこの山々は、私が持ち込んだ個人的な物語もまた快く受け入れてくれたように思います。登山など普段はほとんどしない私はボロボロになりながら登り、月光坂という非常な急斜面を壊れかけの鉄梯子にしがみつきながら降ったことなど、しばらく忘れようにも忘れることができない経験となりました。

修士論文に関しても本格的に書き始め、9月の終わりには第1章をほぼ書き上げることとなりました。

2017年10月

生物学史研究会という研究会で発表の機会をいただきまして、ここで「後期ライプニッツ哲学における有機体論—機械論から有機体論への移行—」という発表を行いました。私としては、これは一つのちょっとした冒険でして、というのも、この研究会は科学史系の人々が中心となって行っているものでしたので、普段は哲学畑にばかり埋まっている私はだいぶ緊張しながら参加させていただいたのです。思った通り、科学史の方々に発表を聞いていただいて意見や質問をもらったことは非常に有益でありました。ライプニッツ自身は現代の科学的な文脈と形而上学的文脈を非常に密接に関係付けながら展開したのでありまして、哲学史科学史の文脈両方にのりつつ彼の著作を読んでいくべきだと考えています。私が知りたいのはライプニッツの哲学ということよりも、ライプニッツ自身がどのように考えていたのかということですので、彼自身のなかで混じり合っていたことをこちらも分断してばかりは考えるべきではないのです。

2017年11月

修士論文提出一ヶ月前となりましたが、この時期は学会シーズンですので土日のほとんどが学会で埋め尽くされております。私はライプニッツ協会というものに参加しまして、同世代の研究者の方々の発表を聞かせていただいたりいたしました。この学会に参加しますと、毎回、それぞれのテーマが非常に多岐にわたっていて、ライプニッツが非常に多くの方面で仕事をしていた人間であったことを思い知らされます。もちろん、彼の仕事が多岐に渡っているということは、「一人の人間の」仕事が多岐に渡っているということですので、これらは何かしらの連関を持ってあるわけですが、そのような知の連関を可能にする場としてライプニッツ協会は重要な働きを果たしていると考えております。ライプニッツ自身は一人で全てを成し遂げてしまうような、もちろん失敗もありましたが、そのような人間でしたので、この学会はある意味ライプニッツ的ではないのかもしれません。しかしながら、ライプニッツが作ろうとしたアカデミー的なものではあると思います。彼の百科全書計画のうちではまさにこうした知の集積場所として「協会」が重要な役割を果たしているのです。この意味ではライプニッツ的でもあるのです。

11月の終わり頃には無事に初校ができあがり、これを読んでくださるという方に送りコメントをいただきました。これらのコメントや質問のおかげで私の論文の誤解されやすい点や、そもそもの問題点、そして誤りなどが明らかになりました。全てを修正することはできなかったのですが、それでも、全て訂正し終えた末には多少わかりやすく、また正確な表現となったように思います。本当にありがとうございました。

2017年12月

今年も終わりに近づき銀杏の木も真っ黄色になったころ、私は修士論文を池袋のキンコーズに持ち込み製本してもらい、それを事務室と研究室に提出いたしました。「後期ライプニッツにおける有機的物体とその機構」と題したこの論文を書こうと決めたのが、去年の4月ごろのことですから2年弱の期間を経てやっと完成したということとなります。私の卒業論文ライプニッツの可能世界論についてでしたから、その時期から考えてみますと同じ人物の哲学についてではあれ、まったく違うテーマを考えていることになります。しかしながら、私の中ではこれらのテーマは一つの大きな連関をなしていまして、いずれ、数十年後になるとは思いますが、結びつけることのできる日がくればいいと考えております。同じテーマで続けなかったことの十分な理由を私自身はっきりと明確には理解できていませんが、このテーマの変更は私としてはこれはこれでよかったと思っております。もちろんこれが原因で修士に3年かかってしまったということもあるのですが、それでも、です。ライプニッツの有機体論というテーマ選択に関して大きな理由を二つ挙げることができます。第一に、修士1年生のころに主催していた『モナドロジー』の読書会でありまして、実際この著作には多くの有機体論的なテーマが取り扱われているのです。モナド概念から始まり、神の国へと至る、話題の変遷の間でこれらを結びつけるように書かれている「有機的物体」という概念は、個体をどのように世界に結びつけるのか、という私自身の興味を強くそそるものであったのです。第二に、修士1年の終わりにライプニッツ協会で発表させていただいた「ライプニッツ哲学における二重化された有機体」という発表がテーマ選択の理由となっております。この発表自体は、有機体概念の目的と作用の二重性を描き出そうとするものでしたが、この発表のおかげで、そもそもどのように二重性が可能になっているのかという部分へと自身の疑問を進めることができたように思います。この発表自体はボロボロなものでしたが、そこから得るものは大きかったのです。こうして、二つの契機を経て、先日提出したような修士論文のテーマへと進んでいくこととなりました。

12月の終わりになり、来年はどのようなことをしていこうかと今から考えておりますが、しかし、とにかく自らの前にある明らかな課題を一つ一つ潰していくことが重要なように思われます。というよりも、こうして今年一年を振り返ってみても、まさにそのようなことをただただ続けてきた一年だったように思われますし、これでよかったような気がしております。一年の計は元旦にありといい、それは非常に重要なことではあるとおもいますが、終わりには一年の計がどうであったかを考えることもまた必要でしょう。一年の計の反省は、次の一年の計を作り上げてくれるのです。私のなかで来年やるべきことは明らかですので、また今年同様に、一つ一つやっつけていこうと覚悟を決める年末となりそうです。いやはや、それはともかく、早く初詣でおみくじがひきたい!おみくじ、けっこう好きなんです。

長い文章をここまで読んでくださった方がいたなら、本当にありがとうございます。(この文章を読んでいただいただけでも)本年は大変お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。来年も福がありますように。