p. 360 から。

日々の雑記。

ヴィトルト・リプチンスキ/春日井晶子訳『ねじとねじ回し』(早川書房)に関する覚書

20世紀の終わりごろ、それまでの1000年間で最も偉大な道具がなんであったのかを調査した建築学者のエッセイである。ハンマーも、のこぎりも、古代ギリシアからずっと改良を重ねながら使われ続けてきたものだった。しかし、「ねじ」と「ねじ回し」はそうではない。あるとき、突然変異的に出てきた道具であった。

注意しなければならないのは、狭義のねじ部品と、広義のねじ基本をしっかり区別しなければならない点である。ねじ基本とは、ねじ山などのねじの原理であり、ねじ部品とはねじ全体を指して言われる。ねじ基本は、古代ローマ古代ギリシア時代から、圧搾機やアルキメデスの水揚機などで使われ続けてきた。しかし、それがねじ部品として、つまり釘と螺旋の組み合わせとして使用され始めたのは、ねじ基本の発明から少なくとも1400年の期間をおいてのことだったのである。

ねじと釘の違いは大きい。釘は打ち込まれた後、左右からの圧力で固定される。一方、ねじは左右の圧力に関係なく固定される。仕組みの複雑さが一次元異なっている。この転換はある種の詩作的発想力の賜物であると著者は考えている。例えば、フランスにおける蒸気機関のパイオニアだったE. M. バタイユを引用して「発明とは、科学の詩作ではないだろうか。あらゆる偉大な発見には詩的な思考の痕跡が認められる。詩人でなければ、何かを作り出すことなどできないからだ」(p. 130)と述べている。この意味で、ねじとは特定の問題を解決するために発達した枠付きの大のこや、ソケット付きハンマーとは一線を画する発明だったという。

しかしその一方で、著者は次のようにも述べている。「古代ローマでは火縄銃も背出し蝶番もなかったので、ねじのような小さくて効率的な締め具はたいして必要なかったのだろう。…技術上のさしせまった要請がなかったわけだ。つまり、1400年後にようやく機械屋の詩人が気づいたのだ。オリーブの実を潰したり、折れた骨を伸ばしたり、観測器具を調整したりできる螺旋なら、ねじ山のついた釘として使うこともできる、ということに」(p. 148)。ここで言われる「要請」とは「特定の問題を解決するためではない」ということとどのように相容れるのだろうか。

ここに、ねじをはじめ、曲がり柄錐や卓上旋盤といった突然変異的な発明(徐々に発達するのではない仕方での発明)の面白いところがある。時代状況は少なからず何かを要請してくる。火縄銃の登場は、小さくても緩まない締結部品の発明を要請した。釘では明らかに代用不可能な締結部品である。しかし、必要性から発明までが全くシームレスではないのである。必要があるから釘に螺旋を付け足せばいいという仕方でねじは発明されないということである。そもそも、釘の原理とねじの原理は全く異なっている。このことから言って、釘が有する特定の問題、緩みやすさや、大きさといったものの解決は、釘に対する問題解決という仕方では行われなかった。それは、より大きな時代的な問題解決の次元でなされたのであり、釘とは断絶的な詩的発明であると言える。

これは著者の書いていることを逸脱した一つの解釈にすぎないが、要請と詩作性の両立のなかで発明された「ねじ」を語るにはこの道が適当であるように思われる。問題解決ということが、何にとっての問題解決なのか、つまり「釘の問題」なのか「時代としての問題」なのか、この違いをこの著書からうまく読み取ることができなかった(読みが足りないせいかもしれないし、エッセイだからそんなに厳密ではないのかもしれない)。時代としての必要性であれば、ねじは、ねじでなくてもよかったと言える。他の全く異なる原理が細かな部分で強力な締結部品として使用されていた可能性もあるのだ。これが詩的であることの内実ではないか。

この点で、私の「ねじ」理解は翻訳者と異なってしまっていることも注意しておかねばならない。というのも翻訳者は、文庫版が出版されるにあたってのあとがきで、つぎのように書いているからである。「もしねじがなかったら…という仮定は無意味であろう。なぜなら、人類の歴史のどこかの時点で必ず、ねじは必要とされ、生み出され、有名無名の職人の工夫や努力を宿らせて、私たちの生活を支える裏方となったはずだから」(p. 181)。しかし、時代の要請は、あくまで釘の改良ではなく、新たな締結部品を求めたのではなかったか。そしてそれは、螺旋を本質とする締結部品である「ねじ」でなくともよかったし、その登場はあくまで詩作的な創作、自由な精神の所産だったのではないか。

何にせよ、人間のものづくりという営みは、考えるべきことが多い。今後ものんびり考えていきたいテーマである。

 

静かな音楽と音楽サービス

ここ数年、静かな音楽を聞くようになった。

中学生の頃ギターを始めた。ロックやフォークを聞くことが多かった。合唱もやっていたので、合唱曲もよく聞いていたし、友達に教えてもらってハイフェッツの素晴らしいヴァイオリンさばきに耳を傾けていたこともあったが。高校に入って、吹奏楽を始めた。打楽器パートを担当することになり、吹奏楽曲をはじめ、打楽器アンサンブル曲という非常にコアなジャンルまで聴くようになった。これがなかなかいいのである。大学では山田流で箏を始めた。箏曲や三曲といった邦楽はほとんど聞いたことがなかったのだが、それなりに良さはわかるようになった。独特のリズム、拍感のなさ、そういったものに親しんだ。大学院に入って特にあたらしい楽器をはじめることもなく、なんとなくいろんな音楽を聞いていた。

こんな感じで中学生のころから様々な音楽を聴いたり集めたりしていたのだけれど、あるとき、音楽を保存していたHDDが壊れてしまったのである。なるほど、そういうこともあるだろう。バックアップもとっていなかったので悲惨だった。いくらか手持ちのCDもあったのだけれど、また読み込んだりするのが面倒で、しばらく音楽を聴く生活からは離れることになってしまった。

apple musicというサービスがそのころ始まった。なんとなく音楽がいろいろ聴けるの便利そう、くらいの気持ちで登録してみると、たしかにものすごく便利だった。ふと思ったジャンルの音楽をすぐに聴くことができる。今はたくさんのそういったサービスがあるが、どれもたぶんの便利なのだろう。

そこでなんとなく静かな音楽を聴きたくて検索していたら、クエンティン・サージャックというポストクラシカル系のアーティストに出会った。彼の Far Islands and Near Places というアルバムに収録された aquarius という冒頭の曲に一瞬で惹かれてしまった。私は自分が好きな音楽に出会った瞬間、毎回毎回、衝撃的な思いを抱く。このときもやはりそうであった。びっくりするのだ。世の中にこんな音楽が存在していることに。私が鍵穴だとしたら、見ず知らずの誰かに、ぴったりのキーを差し込まれた気分。

それから、芋づる式にどんどん出てくる。定額制の音楽サービスはこの芋づる式ができるというのが嬉しい。近いジャンルを散策していると、またそのような驚きに出会うことも多い。好きな音楽というのは、本当に微妙なもので、似たような鍵だからといってぴったり当てはまるわけではないように、鍵山一つでしっくりこないものである。だからこそ、地道にポツポツ見つけるしかない。

そういうことのできる場が、こうやって整備されていく。良い時代だと思う。

しらすピザのこと

釜揚げしらすというのを手に入れた。どうやって食べるのが美味しいのだろうか。シンプルにご飯に乗っけて食べてみた。美味しい。パスタにしても、もちろん美味しい。それで最後に、ピザにしてみることにした。

江ノ島にしらすピザを売りにしている店がなかっただろうか。私の記憶では橋を渡って少し入ったところに、そのようなお店が看板を出していたような気がする。江ノ島といえばしらすだし、そこでピザにされているのだから、間違いないだろう。

さっそくピザ生地を買いに行ったのだが、あいにく薄皮の生地しかおいていない。パリパリの薄皮も美味しいとは思うのだが、気分は完全にふっくらとした耳を有した、あの生地である。まわりを見てみると四種のチーズピザというのが並べられていた。どうやらこれは、ピザ生地にチーズを乗っけただけのシンプルなピザとして売っているらしい。トマトソースが乗っているとしらすには合わないので、その点も確認したが、どうやら大丈夫だ。

チーズピザと、ネギを買う。しらすには醤油とマヨネーズが合う。これは間違いない。チーズが乗った厚めのピザ生地に醤油とマヨネーズを丁寧に塗っていく。塗り終わったらその上にオリーブオイルを少々。そしてネギとしらすを乗っけたら、オーブンでブン!!これでいい。

いい匂いだ。熱々のピザを綺麗な60度に切り分けることができれば、それで完成である。空腹時に、ピザとお好み焼きを切る楽しみは、格別なものがある。早く食べたくても、慎重に、綺麗に。そのあとのテンションに関わるから重要だ。

ピザと一緒にコエドビールも飲んでしまえ。コエドビールとは、埼玉県川越市で作っているビールであり、いくつかのバリエーションがあるのだが、どれも固有の香りを有している。その日の気分で好きな香りを楽しめる。しらすピザには瑠璃を選んだ。味としてはオーソドックスであるけれど、香りは華やか爽やか、口からはすっと鼻へと抜けていく。

ああ、もうすぐ本格的な夏がやってくる。ああ、もうすぐ本格的な夏がやってくる。

モナドと窓

窓から光が差し込む。窓を開ける。すると、鳥の鳴き声とともに外の空気が入り込んでくる。少し寒くなって窓を閉めた。傾いた太陽の光がまっすぐに窓を突き抜けて、やはり私の元へとやってくるのだった。

私たちの魂は神や宇宙を表出するのであり、あらゆる現実存在と同様にあらゆる本質もまた表出するのである。このことは私の諸原理に一致する。なにしろ、自然的には精神はその外部からいかなるものも入らせることはないのであり、私たちの魂があたかもなにか伝達される形象を受け取ったり、扉や窓を有していたりすると考えることは、まさに悪い習慣なのである。(『形而上学叙説』§ 26)

モナドは、それによってなにかが出たり入ったりするような窓を持っていない。(『モナドロジー』§ 7)

モナドには窓がない」という言葉は、その比喩的な豊かさを伴って、多くの人々の間で反復的に使用されてきた言葉である。その意味するところは、こうして引用を少し見てみればわかる通り、能動知性–可能知性理論への反論であり、外部から何かがやってくることの否定である。

ここで、「モナドには窓がない」ということは、はたして「私には窓がない」ということと同じことなのだろうかという疑問が生じる。モナドは私なのだろうか。完全にすべての述語(出来事)がそろっているという点では、すくなくともモナドというカテゴリーに私は入ってくるだろう。この事態をもう少し比喩的にいえば、私の家には生活に必要なすべての家具や食料や日用品が最初から揃っているという状態であり、某宅配サービスは必要ないということである。

ところが、ライプニッツ「窓」の比喩が意味することは、実在的なものの流入の話に限定されていることに注意しなければならない。私たちはあらたな家具も食料も必要としない。それはたしかである。しかし、いつこのストーブに薪をくべるのだろうか。それは寒くなったときに、である。部屋は勝手に寒くなるだろうか。いやそうではない。外が寒くなるから中もまた寒くなるのである。ライプニッツは無理由を認めない。部屋が寒くなるからには何か理由があり、それは外部との関係ということがすでに自らの述語にふくまれているということである。つまり、窓の外すべてが内部化されているということであり、「窓がない」のではなく「窓しかない」とも言える(この場合は実在的な流入ということの比喩ではなく、「見ている」ということの比喩としてではあるが)。

私たちが完足的(十分にすべて揃っている)であるということが、逆に外部への関係を必要としている。これはあくまで観念的な関係であり、何かがでたり入ったりすることとは厳密に区別しなければならないにしても、である。「モナドには窓がない」という存在論的前提から帰結するのは、「モナドには窓しかない」(何度も注意して言うが、この窓の比喩は実在的な何かのやりとりという相互関係ではなく観念的相互関係を表現する)という認識論的要請であろう。私たちの不完全性、質料性、パースペクティブ性は、そのような外部との関係を必要としている(私たちはすべてを自らのうちにみる神ではないのだ)。

モナドには窓がない」ということが、私たちに窓を開けて外の誰か何かとの交渉を要請する。そして、お互いが判明なモナドであるということが、おしゃべりを可能にする。ときに受動的に相手の言葉を受け入れ、ときに能動的に相手に言葉を伝えること、判明なモナド同士の対話は、こうである。

やがて死はモナドの判明さを闇の中へと転落させる。そのとき、もうおしゃべりは成り立つことがない。相手の声は聞こえない。しかし、ある人が残した作品や言葉が私に影響をあたえることがある。これはすでに判明でなくなったモナドにとって一体なんなのだろうか。私の空想なのだろうか。それが空想だとしても、私自身の判明さはすでに死という状態にあるモナドに観念的にであれ結びついているように思われる。意識を持たないモナドが判明だということがあるというのだろうか。

答えがでないことがある。そういうときにこそ、窓を開ければよいのだろう。外に出ればよいのだろう。鳥がなにか教えてくれるかもしれない。

悲しみにつける薬のために

夢を見た。護岸がしっかり整備され、鉄柵が人の侵入を防ぐほどに手の入った河川の横の細い歩道で「これは二年前に亡くなった妹の指輪なのだ」と言いながら、私にそれを手渡した人がいた。「だけど、まだ会いに行けていない」そう言って、その人はうつむいた。薄暗い街灯はその表情を全くの暗闇に隠してしまった。

私は何かしてあげなくてはならないような気がした。何か気の利いた言葉をかけたり、気の利いた行為をしたり、気の利いた…。けれど、そのような気の利いたことは何一つ思い浮かぶことはなかった。

悲しみという感情を私は避け続けて生きてきた。悲しみという感情は知らない家の子だ。何をするのかわからない。忌避は無知だ。だから、私ではない誰かがその悲しみと付き合おうとしているとき、その状況は私にとって真っ暗闇にしか見えない。ただ呆然と立ち尽くすだけである。その人の前に。

私は壊れた機械を見ると直してみたくなる。扇風機のスイッチが壊れたときには、ドライバーを持ち出して分解してみたりもしたし、時にはマイナスドライバーでこじ開けたりもした。たいていの場合、機械を直す試みは失敗したし、むしろ悪化させた。

何がいけなかったのか。明白に、明確に、機械というものについての無知ゆえにである。無知なものに手を加えることはいつでも危険が伴う。

他人の悲しみという全くの暗闇を前にすると、私はあらゆる可能性に思いを巡らせることになる。そしてどの可能性もが同じだけの確からしさで脳内を過ぎ去っていく。なにもかもが、同じだけ。それでも、私は何かしてあげなければならないのだという、誰に言われたのでもない責任を感じることになる。

でも、そうではないのかもしれないと思っている。つまり、責任を感じることなどないし、何もしてあげる必要はないのかもしれないと思っている。行為することと、行為しないことは、能動的なものとそうでないものとして、前者を持ち上げがちである。けれど、何かしてあげなくてはならないように思われる場面で何もしないことを選べるのだとしたら、それは十分に能動的ではないか。それはもちろん、仕方なく何もしないということとは異なっている。責任を感じつつ、あえて何もしないということ。そして、何もしないということが私とその相手の関係性において最善の選択である場合が少なくないように思うのである。

他人の悲しみをどうにかするために、私からはなにもしないということ。結局これは、私が悲しみを知らないがゆえに、唯一のものとして出てきてしまった答えでもある。無知でないことに対しては、何かしらの道を見出す可能性もありえなくはない。それゆえに、私自身の怠慢の結果が、責任による咎めであり、後ろめたさであろう。「私はそれは知らないので、関係できません」と言って去っていくときの後ろめたさ。

相手のうつむいた表情に広がる全くの暗闇は可能性の嵐である。同時に、私の無知でなかった可能性がスポットライトに照らされて責任を主張する。暗闇の可能性と照明の可能性の間で、私自身はただどちらにも背を向けて歩く。どちらにも背を向けて私であることしかできないのだとつぶやく。

何かに合うものを見つけるということ

或る一つの事物があったとき、それはそれだけで良いものである、ということが少なくない。白米は白米だけで美味しいという人もいるように。

それでも、私はそれだけでも良いものに、なにかもう一つ合わせたいと思う。白米には納豆なり、漬物なり、なにか付け合わせたいのだ。白米の場合、付け合わせは多くの人々によって研究されていて、「ごはんがすすむ君」なる商品まである。付け合わせの選択肢に迷うことはあれ、スーパーに行って何一つそれらが見つからないということも考えづらい。

なんども繰り返される事物については付け合わせを考案し皆で共有することもできなくはない。「ここにはこれだろう」というもの、例えば青空には飛行機雲なんかがいい。草原には風だ。馬でもいい。

でも、じつは世の中のたいていの事物には、共有された付け合わせのモデルが存在していない。「今宵」はどうだろう。一般的な意味での今宵ではない、今日という日に限定された「今宵」である。今宵というものに、いったい何を合わせるのがいいのか。

例えばの話である。例えば、「今宵」に何か音楽を合わせたいと思ったならば、どの音楽を選ぶだろうか。私は彼の音楽を聴くことにした。

soundcloud.com

 

「今宵」に合う音楽を見つけられるように、生きたいと思う。今宵だけではない。それだけで良いものに出会うだけでは物足りない。他にはない組み合わせで、これこそが良いのだと思い込んでいよう。

自然そのものについて

自然そのものとはなにか。自然の二文字がくっついた概念は、ちょっと考えただけでもわりとある。自然権自然言語自然宗教自然主義、自然状態、自然神学、自然哲学、自然法…最近では、自然食品、自然保護、自然化粧品……。

日本語では nature に「自然」もしくは「本性」という語をあてることが一般的である。とりわけ、この「自然」というものに着目したい。どうやら、この訳語が導入される当時には「天地」「万有」「造化」などという訳語も存在したらしい。「天地」も「万有」も〈もの〉を指し示す語であり、「造化」は〈作用〉を指し示す。「自然」という語が示すのはただ「自ら然る」であり、それ以上のことをこの二文字自体からは読み取ることができない。〈もの〉や〈作用〉の具体性は「自然」という〈状態〉を表す言葉よりもはるかに強いように思われる。しかしそれでも、近代西欧的な nature の用法、すなわち外的対象一般を指し示す(その意味では「天地」や「万有」という意味に近い)用法も入ってくることになる。〈もの〉として外的に存在するものとしての自然である。こうして、「自然」という語には大きく〈状態〉と〈もの〉を指し示す意味が存在している。

西洋古代に目を移せば、アリストテレスが自然を広い意味での運動の原理と考えている。広い意味というのは、単に位置の移動を考えるのみならず、生成消滅や質の変化、量の増大減少までも含みこむということである。ここで原理とは生み出すものであり、その意味では自己生成的な自然が読み取られることになる。それは、自然そのものに内在的な働きを認めることである。

それと顕著な仕方で対立するのは、近代西欧、とりわけ科学革命以降の自然観であろう。その時期の代表的な自然観は機械論的自然観と呼ばれるものである。自然を幾何学的延長に還元すること、精神から切り離すことに重点が置かれる。この意味で西洋古代における自律的で自己生成的な自然概念から距離を置くことになる。

これは時代の大局であり、細部を詳細に検討するのであれば、その各時代に反発や賛成が入り混じっていたことは言うまでもない。しかし、自然をどのように見るかということは常に重要な事項であったというのは確かである。

問いは改められなければならない。私の「自然そのものとはなにか」という問いは、自然哲学的な意味での問いではない。むしろ問いは「なぜ多くの人々が自然を考えなければならなかったのか」という、非常に人文社会学的な問いである。自然を考えるという人間の営みの意味を解釈することが問題である。