わたくしごと註解

17-18世紀の西洋哲学および生命思想史を研究しています。執筆者については「このブログについて」をご覧ください。

デカルト『方法序説』の一般向け講義のご案内(2024年4月14日〜)

大学でも行っているデカルトに関する講義を、初学者の方を含む一般向け講義として、より時間をかけて、より詳細な内容で開講いたします。今回みなさんと一緒に読み進めるメインテクストは、同時代の書籍のなかでも最も有名であろう『方法序説』という著作です。以下では、講義の詳しい内容を紹介しています。みなさんのご参加をお待ちしています。

開催概要

サービス名:The Five Books

期間:2024年4月14日(日) ~ 2024年5月12日(日)
毎週日曜日20時よりオンラインで開催(録画での参加も歓迎します)
随時Slackを用いて、質問等の講師とのやりとりが可能です。

料金:8000円(2000円/講義×4回)

お申し込みはこちら

講義概要

今から約400年前、現代科学の礎が築かれた科学革命の時代、ルネ・デカルト(1596–1650年)という一人の天才が、新たな哲学を打ち立てるために奮闘していました。この講義では、彼の努力のなかで生み出された稀代の名著『方法序説』(1637年)を、4週間かけて全4回の講義とともに読み進めていきます。

この本を読んで得られるものを一言で表すならば〈考えるための方法〉ということになるでしょう。彼の生きた17世紀は「方法の世紀」とも呼ばれる時代でした。なぜ方法なのか。それは、新たな物事の誕生には常にそれを遂行するための新たな方法が伴わなければならないからです。前の時代と同じやり方では同じ結果になってしまう。彼らは新たな方法を打ち立てることで、新たな科学を、そして新たな哲学を打ち立てようと試みたのです。

方法序説』はそんな方法の世紀においても、随一の影響力と破壊力をもつ書物です。たしかに、本書には、現代科学では否定されている事実や、批判されがちな心身二元論などが登場してきます。しかし、読み進める上で重要なのは、デカルトがそのような考えに至ったのはなぜか、という点です。というのも、その思考プロセスにこそ「方法」があるからですデカルトの思考方法は時代を超えて現代の私たちにも大いに参考になることでしょう。

本講義では、『方法序説』の内容に関する紹介はもちろん、17世紀の他の哲学者たちの思想との比較、さらには毎回の講義の冒頭で本書をより楽しむためのブックガイドの時間なども設ける予定です。また、講義期間中はいつでもSlackを用いて講師に質問をすることが可能になっていますので、理解が難しい箇所があっても一人で悩まず講師とともに考えることができます

方法序説』は初めて哲学書を読む方、哲学への最初の一歩を踏み出したい方、さらには17世紀哲学に興味を持っている方などにもお勧めです。ぜひ一緒に『方法序説』を楽しみましょう。みなさんのご参加をお待ちしております。

使用テクスト

方法序説』は岩波文庫や中公クラシックス、中公文庫、白水Uブックスちくま学芸文庫講談社学術文庫等から様々な翻訳が出ています。基本的には岩波文庫のものに従って講義を進める予定ですが、他の翻訳での参加も可能です。手に入れやすいものをご用意ください。それぞれで訳が異なる部分があると思いますが、そういった違いがなぜ生じてくるのかを考えることも含めて楽しみましょう。  

各講義の内容

第1回 (2024年4月14日 20:00-21:30)の内容:
山に登ったことがある方はご存知かもしれませんが、道具を揃えたり、地図を確認したりする準備作業は、山登りそのものと同じくらい、あるいそれ以上に大事な作業です。最初の講義では、『方法序説』を読み進めるための入念な準備をしてゆきます。古典を読む上での難しさのひとつに、それが書かれた時代の人々と問題意識を共有できていないということが挙げられます。
この講義では、17世紀という時代状況について説明した上で、デカルトという人がなぜ『方法序説』を書くに至ったのかということを解説します。

第2回 (2024年4月21日 20:00-21:30)の内容:
方法序説』第一部から第三部を扱います。この箇所では、『方法序説』に至るまでのデカルト自身の来歴が回想されながら、学問や実践のための規則や格率が示されています。学問的な批判的思考は、それだけでは自らの生活を危ういものとしてしまうことにもなりかねません。デカルトは、日常的な格率を準備することで幸福な生活それ自体も大切にしようと考えていました。こうしたバランスのとれた考え方には見習うべきところが多くあります。第二回の講義では、こうした規則や格率の中身について吟味し、それらを通じて彼が伝えようとしていたことを掴み取りましょう。

第3回 (2024年4月28日 20:00-21:30)の内容:
方法序説』第四部を扱います。この箇所では、デカルト形而上学的な思想が展開されています(この文章を読まれている方ならきっと知っているであろう「我思う故に我あり」も登場します)。伝統的な哲学用語や哲学的な意味での「神」に関する議論は、初めて読む方々にとっては少し難しいかもしれません。でも心配いりません!この講義では初めから丁寧に解説します。こうした文章を読み解く訓練をすることで、今後また別の哲学書を読む際にも必ず役に立つことと思います。

~5月5日は休み~

第4回 (2024年5月12日 20:00-21:30)の内容:
方法序説』第五部から第六部を扱います。この箇所では、デカルトの自然学に関する思想が展開されています。物理や医学、宇宙などについて考えることはどれも、「自然」というものについて考えることです。ここでは、よく批判される、動物を単なる機械とみなす考え方も登場してきます。でも、デカルトは実際どんな言い方をしていたのでしょうか。自分自身の目で彼の言い分を吟味してみましょう。

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【読書会】隅田聡一郎『国家に抗するマルクス:「政治の他律性」について』に関する覚書

数年前からやっている〈マルクス入門読書会〉で隅田聡一郎『国家に抗するマルクス:「政治の他律性」について』(堀之内出版, 2023)を読み終えたので、その記録を残す。この読書会は、日本中世史を研究している友人とふたりで行っている会で、マルクス主義史学の再検討のためにマルクス研究を学ぼうという趣旨で始めたものである。未だその目標にはほど遠いが、目下の研究に直接関わるものでもないので、地道に続けていきたい。

これまで読んできた書籍は以下である。

  1. マルクス「資本制生産に先行する諸形態」『マルクス・コレクション3』収録(筑摩書房
  2. 佐々木隆治『カール・マルクス:「資本主義」と戦った社会思想家』(ちくま新書
  3. 佐々木隆治『新版 マルクスの物象化論:資本主義批判としての素材の思想』(堀之内出版)
  4. 田畑稔『増補新版 マルクスとアソシエーション:マルクス再読の試み』(新泉社)
  5. アンダーソン『周縁のマルクスナショナリズムエスニシティおよび非西洋社会について』(社会評論社
  6. ポストン『時間・労働・支配:マルクス理論の新地平』(筑摩書房)※途中で挫折中

以前「資本制生産に先行する諸形態」を読み終えたさい、内容の復習として隅田さんの論文「マルクス「本源的所有」論の再検討——「資本主義的生産に先行する諸形態」における「私的所有」と「個人的所有」の差異——」(『社会思想史研究』第38号掲載)を読んだということもあり、今回は同氏がちょうど書籍化された博士論文を読むことになった。

基本的にマルクス研究について何も知らない状態から始めている読書会なので、書かれていることの全てが私たちにとっては新情報であった。だが、明晰な筆致のおかげで最後まで読み通すことができた——私たちの知識不足ゆえに、多くの内容を取りこぼし、読み違えながらのことではあると思うが。特に、政治や国家というものが、マルクスの理論にどのように関わるのかという点について大変勉強になった。

以下では、読書会の各回終了後にX上に投稿した感想に加筆・修正を加えつつまとめて掲載しておく(ただし、最後の章とあとがき部分についてはXに投稿していないため、こちらで新たに書いたものである)。


2023年9月4日

冒頭から p.36 までを読んだ。政治を経済に還元するのでも、政治の自律性を強調するのでもない仕方でマルクスを読み解いていくこと目指す。フーコー的方法も参照しつつポリティカル・エコノミー批判との関係で政治の位置を見定めながら、本書の主題である「政治の他律性」の発想を取り出していく。

9月19日

第1章「未完の国家批判:「国家導出論争」再考」
マルクス研究史を振り返りながら、政治の「自律性/他律性」の観点から再構成していくパート。グラムシマルクス解釈をどう受け取るべきか、国家導出論争(この本で初めて知った)をどう理解すべきか、など勉強になる。

10月1日

第2章「近代国家とブルジョワ社会:国家批判からポリティカル・エコノミー批判へ」
ヘーゲルが先立って提示していたような、政治的、国家的領域と、社会的、私的領域の二元主義が近代の特徴であるとすれば、その変革の可能性をどこに見出すことができるのかが問題となる。マルクスは、国家の解消によってブルジョワ社会をも解消するという方針から、ブルジョワ社会の変革によって政治的領域のあり方を変えるという方向へとシフトする。これは、人々の生活や労働のあり方が変革されない限りは、国家形態も維持されざるを得ないという発想に基づいている。

スピノザが『神学・政治論』において、どんなに強い権力でも人間本性に反するようなことを命じることはできないし、もし命じるならば権力自体の危機を引き起こすことになりかねない、ということを述べていた(cf. 上野修スピノザ『神学政治論』を読む』)。こうした制約は、本書で指摘される、国家の租税源泉の制約に関する次の議論にも関わるように思う。

資本の国家はたんに暴力的強制にもとづいて私的所有者(主として賃労働者・資本家・地主の三大階級)から富を捕獲するわけではない。というのも、国家租税の収入源線は、資本主義社会において本質的に剰余価値の一部であるほかなく、資本の再生産および蓄積過程に制約されているからだ」(p. 134)

10月21日

第3章「無産国家:資本主義の政治的形態」
上部構造と土台の連続性を考えるうえで、政治的なものがどのような形で経済的なものに関わっていくかを分析する観点が重要になる。この分析のために、前資本主義体制と資本主義体制、それぞれにおける国家の機能に注目していく章。

前資本主義においては国家が共同的なものの創設に直接関わっていく。これは、国家そのものが生産条件を所有しているからである。他方で、資本主義においては経済的なものの側の運動が(労働者と同様に)国家の無産化を引き起こすことになる。こうして、資本主義体制における国家はインフラ創設などに直接関わることができなくなる。

資本主義国家においては、租税を可能にしてくれる貨幣もまた経済的領域を媒介してしか可能ではない。その意味で国家の財政は経済的なものの領域に制限されることになるのであり、そうした経済領域における素材と価値の矛盾に対応するものとしてのみ国家介入の余地を考えることができるにすぎない。

11月12日

第4章「法=権利形態とイデオロギー批判:マルクスとパシュカーニス」
私的所有のような法=権利がそもそも物象が人格化されたものとして現れてくるものであることが明らかにされ、その上に法イデオロギーが成立していく経過が描かれる。パシュカーニスの重要性を知ることができる章。パシュカーニスの著作『法の一般理論とマルクス主義』は翻訳もあるらしい(古本が高騰している…)。

マルクスイデオロギー批判は、幻想性や隠蔽性の指摘にとどまるものではないというのも重要であるように思う。経済的なものの次元に由来する「法=権利」と、それに要請されて現れるイデオロギーが循環的な関係のなかで互いに深化していく構図の上では、イデオロギーそれ自体が固有の力をもつものとして捉え返される。

12月9日

第5章「近代国家から「資本の国家」への移行:「ブルジョワ国家」の可能性と限界」
ゲルステンベルガー『主体なき権力』を丁寧に紹介しながら、マルクスの国家の形態分析と歴史分析との関係を明らかにする章。歴史的条件の下での国家のあり方が問われていたことがわかる。

資本主義国家をブルジョワ国家と同一視と混同してしまいがちだが、ブルジョワ国家形態をとる資本主義国家というのは、アンシャンレジームから展開してきた歴史的条件の下でのあり方である点に関する指摘はとくに面白かった。理論にとっての歴史性の関係の仕方は、哲学一般の問題でもあり参考になる。

2024年1月29日

第6章「階級闘争と国家形態:「社会国家」の可能性と限界」
労働力の再生産を保障する国家の社会政策は「法=権利形態」を媒介として労働者階級が階級闘争を行うことに由来するものである、という議論が紹介されている。社会政策を行う社会国家の可能性と限界もここで扱われる。

従来の議論が十分に捉えることができていなかったのは、社会国家の過渡的性格であった。社会国家それ自体は資本主義のシステム内部で働くものであるが、マルクス的には、そうした社会はアソーシエイトした社会システムへと移行するなかの段階として捉えられるべきだということになる。

特に、アソシエーションに独自の政治的形態を考察することによって、資本主義国家の一類型である社会国家を所与の前提とした社会民主主義と、アソーシエイトした社会システムへの過渡期として社会国家を再定義する「社会主義的デモクラシー」(Negt 1976)を質的に区別しうるのである。(p. 235)

2月14日

第7章「資本主義世界システムの政治的形態:「資本の帝国」と地政学的対立」

グローバルに広がっている資本主義的な世界市場と国家の複数性の関係について扱われている章。第5章において、政治形態と資本主義の関係を歴史的分析から把握することを行ったのと同様に、そうした分析を国際的な資本主義と諸国家システムについても考える。

制度ということがキーワードになっていて、主権国家体制は、資本主義的政治形態とイコールではないにせよ、その「制度的な表現」であるとされる。歴史的に生じた制度によって具現化されたあり方として、現在のような複数国家と、そうしたものを突破していく世界市場が成立する。

注9で「ちなみに、ミエヴィルのSF小説の代表作である『都市と都市』は、彼の博士論文の「同等な法=権利のあいだで』(Miéville 2005)をモチーフに書かれたものである」とあったので小説も手に入れてみた。まだ最初の方しか読めていないが、見えているのに互いに見えないふりをしながら暮らさなければいけない二つの国をめぐるミステリー小説らしい。

3月17日

第8章「国家に抗するデモクラシー:「アソシエーションの政治的形態」の発明
資本主義社会における民主主義自体が抱えている「退化」契機、すなわち、議会制デモクラシーによって民衆が政治的領域から切り離されてしまう契機を、アニョーリを参照しつつ論じていく。こうした状況に対して、本章では「デモクラシーの非資本主義的形態=社会主義的形態」が検討される。

アニョーリによれば、代議制の本質とは寡頭政であり、代議制をとることによって人民は政治から切り離される。こうした事態は古代ギリシアで採用された民主政、すなわち政治的権利を有する人民による直接的政治参加に対比することができる。近代社会においては資本主義的形態のもとでデモクラシーが発展することになったが、それは必然的な事柄ではなく、資本主義から切り離してリベラル・デモクラシーを構想することの可能性を問うことができる。

ウッドの議論を参照しながら「国家に抗する政治的共同体」を再考していく。政治から切り離されてしまった労働者たちが自分たちをどのように政治的生活へと再び統合していけるのかが問題となる。ここでは、マルクスにおける二つのシトワイアン、すなわち「近代国家の構成員」と「国家に抗する政治的共同体成員」を区別することが重要であるとされる。この後者の成員としての権利を要求し、こちらの側から前者の在り方を再規定していくことが重要になる。著者は次のように本章を締めくくる。

したがって、「国家に抗する政治的共同体」は、商品や貨幣、資本といった経済的形態のみならず、資本主義社会に固有の法=権利形態ならびに国家形態を、漸次的に解消する限りにおいて構成される統治形態と考えることができよう。しかしそれは、法=権利はもちろん政治的共同体そのものの死滅として理解されてはならない。[…]それゆえ、シティズンシップの社会主義的形態がもつ内容とは、政治的自己組織化の構成原理にほかならない。(p. 295)

3月17日

おわりに「可能なるアセンブリコミュニズムへ」

本書が強調してきたマルクスにおける「アナキズム的モーメント」が改めて取り上げられている。マルクスアナキズムは一定程度まで意見を共有する部分がある。たしかに、マルクスは政治的共同体を通して資本主義を廃絶することを目指したが、それと同時に政治的な領域が常に資本主義的形態規定によって侵食されていることを批判していた。そうした侵食に抵抗するためには、第8章でみたように、私たちの政治的な在り方を再構成しなければならないのだろう。

ここでは可能なる共同体として、ゲルマン的形態やパリ・コミューン、さらには農村共同体など、マルクスが向けたまなざしが紹介されている。さらに最後には、現代における「ロジャヴァの革命」が「この革命は、現代の「可能なる」アセンブリコミュニズムの姿であると言えるだろう」(p. 307)と評価されている。私自身は、この革命についてほとんど知らなかったのだが、以上の議論を踏まえて改めて目を向けてみたいと思う。

honto.jp

【災害ボランティア】石川県珠洲市での活動の記録(2024年3月11日)

危険 UNSAFE

この建築物に立ち入ることは危険です。立ち入る場合は専門家に相談し、応急措置を行った後にしてください。

——被災家屋に貼られた応急危険度判定の赤い用紙

2024年3月9日–10日に金沢市内のしいのき迎賓館にて日本ライプニッツ協会第9回春季大会が開催された。ちょうど北陸応援きっぷ(往復の新幹線と4日間の北陸フリーパスがついている)の発売期間でもあり、これを用いて埼玉から金沢へと向かうことにした。学会自体は土日で終了し、そのあとは特に予定もなかったので、能登半島地震の災害ボランティアに参加することにした。以下では、準備から帰宅までの一連の出来事を思い出せる限りで記録しておく。

準備(3月5日–8日)

学会発表の原稿に頭を抱えながら現実逃避をする。発表を終えて開放された自分を想像しながら、終了後の予定を考えていた。不意にテレビでみた能登半島の様子を思い出し、災害ボランティアについてインターネットで調べる。「珠洲市災害ボランティアセンター」のサイトにアクセスすると、福井市内から珠洲市までのボランティアのためのバスが運行しているという情報を見つけることができた(こちら)。朝4時30分に福井県立大学駐車場に集合し、9時頃に珠洲市に到着、16時ごろまで現地で活動し、20時30分ごろに出発地に戻ってくるという行程のもの。被災地にボランティアに行くのは初めての経験だったので、自分に何ができるのかも分からず、応募するかを悩んでいた。

原稿を書き進めては、ボランティアのサイトを眺め、ということを3度ほど繰り返したところで、ようやく行くことを決心した。元来、私は決断が早いタイプの人間ではない——というより様々な可能性を比較することを好む——ので、これは比較的早い決心だったといって良いだろう。

災害ボランティアの仕事は、瓦礫の撤去やゴミの運搬などである。活動するための持ち物が応募サイトに掲載されていた。作業用手袋、踏み抜き防止インソール、ヘルメットは自宅に用意がなかったため急遽 Amazon で購入した。全部で5000–6000円くらいで揃えることができた。ちなみに、ミドリ安全の耐切創手袋はタイトなので大きめのものを買うのがよい。私は最初Mサイズを購入したが、装着してみると少し小さめだったので改めてLサイズを購入した(私は身長170センチ男性、手のサイズは普通だと思う)。

靴はレッドウイングのクラシックブーツ。現場によっては泥だらけの場所を歩くこともあるので、できれば長靴などがあればよいが、今回は学会後の参加なので長靴は持っていくことができなかった。着替えも最低限しか持込むことができなかったが、できれば替えのズボンなどもあると安心して作業できたと思う。瓦礫の粉塵も考えるとマスクもきちんとしたものがあると良いだろう。

前日(3月10日)

学会で研究発表を行い(発表内容はこちら)、17時ごろまでシンポジウムに参加。翌日の集合場所の福井県立大学は、福井駅から少し離れた場所にあるということもホテルクージュ福井を予約。特急しらさぎ福井駅まで移動して、そこからバスで宿泊先まで40分ほど移動。夜だったこともあり到着したバス停からさらに25分ほど歩く必要があった。

ホテル前に辿り着くと巨大な恐竜(ティラノサウルス?)のオブジェが入り口前に設置されていた。入り口を入ると、身長と同じくらいのサイズの恐竜の卵や小型恐竜の置物が迎えてくれた。福井といえば恐竜だし、せっかくなら友人が働いていた恐竜博物館にも行きたかったが、今回は時間の関係で断念した。

当日の移動(3月11日4–9時)

朝4時半に福井県立大学第三駐車場に集合ということだったので、3時過ぎに起床。前日にコンビニで買っておいたコーンパンを食べてコーヒーを飲んだ。残りふたつのパンと飲み物をリュックに入れて、3時50分頃にホテルを出発した。川沿いの土手を歩いて集合場所に向かう。街灯などは全くないので道は真っ暗であった。星はよく見えるにせよ、あまりにも心細い。まだ寒い道を、携帯のライトで道を照らして時折すれ違う車に轢かれないように気をつけながら進んでいく。4時20分頃に集合場所に到着した。

駐車場には大型のバスが一台停車しており、その横には福井県庁から来ているという若い担当職員が参加者の確認をしていた。挨拶をしてバスに乗り込む。すでに十数名の参加者が乗車しており、軽く会釈しながら進み真ん中あたりの座席についた。ざっと見たところでは参加者の年齢層は高めな印象で、30代前後の人は私ともう1名くらいであったと思う。男女比は明らかに男性の方が多かったが、女性の参加者も数名いた。

最終的にこの日は21名が集まり、出発。バスのマイクを用いて、県庁職員がボランティアについての説明を行っていた。加賀ICから高速道路に入る。消灯したバスの車内から外を眺めているとやがて海沿いの道に出た。少しずつ白んできた空に照らされて海が輝き始めたころ、最初のトイレ休憩のためのサービスエリアに到着した。

のと里山海道に沿って進んでいくと、だんだん道の凹凸が激しくなる。ところどころ道路が崩落してしまっていた。崩れ落ちたアスファルトを跨ぐようにしてガードレールが宙吊りの状態になっているは印象的であった。穴水町に近づくと道のひび割れなども酷く、まっすぐ走れる道はほとんど残っていなかった。障害を左右に避けながらゆっくりと進んでいく。

穴水町に入ると、墓石が倒れたり、横を向いたりしているのが目に付いた。壁の崩れた家や、ブルーシートがかけられた屋根も多くある。「危険 落下物注意」と書かれた赤い紙が玄関に貼られている家もあった。張り紙の赤さが色褪せてきていて、地震発生からもう2ヶ月以上の月日が流れていることを感じる。家によっては黄色い紙に「要注意」と書かれたものが貼られてもいた。

穴水町内の道は少し渋滞気味であった。バスの運転手によれば、渋滞は通勤ラッシュによるものだとのことであった(帰りもちょうど帰宅ラッシュの時間帯で混んでいた)。こうした状況であっても働かねばならないし、働くこと自体が救いだということもあるだろう。土砂崩れで大量の土砂と杉の木が畑に流れ込み、道路脇を流れる川の上にも橋を架けるように横たわっていた。

穴水町を抜けて、のと里山空港でトイレ休憩。このバス移動では、この場所が最後の水洗トイレとのことであった(珠洲市のボランティアセンターでは仮設トイレが設置されているのみである)。ここから50分ほどで目的のボランティアセンターに到着するとアナウンスがあった。この日は天気も良くて気温もだいぶ上がってきていた。

現地(3月11日9–16時)

珠洲市災害ボランティアセンターには、大きなガレージにパイプ椅子や机が並べられていた。到着すると、まず説明や仕事の割り振りなどが行われた。前方のホワイトボードには、その日にどこでどのグループが何の作業をしているか、どのトラックがどこに出ているのか、などの情報が一元化されて書き込まれていた。壁には宮城の人々からのメッセージや小中学校からのイラスト入りのメッセージなどが飾られているのも印象的であった。

福井県からの参加した私たちは「チームふくい」と書かれた黄色いビブスに、名前や所属(この場合は「福井県」であった)などを書いたシールを貼り付ける。他の団体は赤いビブスを身に付けるなど団体ごとに見分けがつくようになっていた。

説明を受けた上で、この日、私たちの団体に割り振られた依頼は三つ。高齢者の家の片づけ、瓦礫の運搬、倒壊家屋から出たゴミの撤去という仕事を、約7人ずつ3グループに分けて担当することになった(高齢者の家の片づけは体力に自信がない人でも問題ないとのことであった)。特に、瓦礫の運搬やゴミの撤去は、軽トラックや2tトラックを運転できる人員が必要である。私は運転できないのだが、倒壊家屋のゴミの撤去グループに入り、軽トラックの助手席に乗って移動させてもらうことになった。

福井から既に何度か参加しているという60代前後に見える優しそうなおじさんが運転する軽トラックに乗せてもらう。まず、最初から荷台に積まれていた瓦礫を鉢ヶ崎海水浴場の駐車場に作られた災害ゴミの仮置き場へと運び込む必要があった。ボランティアセンターから20–30分車を走らせていく。何軒かに一軒は倒壊しており、倒壊しておらずとも壁がはがれ落ちたり屋根瓦が落ちているのが目に付いた。電柱や信号などは斜めに傾いており、いくつかの信号は機能しなくなっていた。道路は、いたるところ段差ができており慎重に車を走らせる必要がありそうだった。

災害ゴミの仮置き場には、入り口で登録証を見せて入る。広い場内は、ゴミの種類によって区域分けがなされており、壁材やブロック、木材、家電、畳、布団など、それぞれの場所に運び込む必要があった。瓦礫を軽トラごと移動させて、荷台から現場に設置された大きな袋に移していく。現場に多くの作業員が駐在しており、どこに運べばいいかわからないようなゴミがあった場合には作業員に聞くと教えてくれる。ゴミの仕分けはけっこう厳しく、例えば泥まみれの瓦礫などはリサイクルがむずかしいので別のところへと運ぶ必要があった。一通り積み荷を降ろして、現場へと向かう。

私たちのグループの担当現場は大谷町であった。珠洲市街地は能登半島の東側に位置するが、西側の海岸もまた珠洲市に含まれている。大谷町はこの西側にある町で、大谷峠を越えて向こう側へと行く必要がある。途中まで軽トラを走らせたところで、大谷峠の入り口が閉鎖されてしまっていた。カーナビを再設定し迂回路から大谷町へと向かう。こちらの道も寸断されており、途中からは土を盛った上に鉄板を敷いた仮説路を通って現場へと向かう。基本的にどこも一車線であり対向車とは譲り合って前に進んでいくような形であった。途中、自衛隊の車両とも何度かすれ違った。

現場は特に被害の大きな地域に見えた。軒並み家は倒壊しており、そこに裏から土砂が流れ込んでいるというような状況で、何もかもが破壊されてしまっている。土砂に埋もれた金属製の鍋蓋がぐにゃぐにゃに変形して埋まっていた。原形を失った車のボディも近くに転がっていた。土砂崩れがいかに大きなエネルギーを持っているのかを思い知らされる。現場の土砂の一画には、少し古くなった花束と、まだ新しい花束がひとつずつ置かれていた。後から聞いて知ったのだが、ちょうど同じ場所で自衛隊が行った救出活動が東京新聞の記事になっていた。

私たちの仕事は、倒壊した家屋の横にある公園に出された家具や瓦礫をトラックに積み込んで災害ゴミの仮置き場へと運ぶことであった。細かいものについてはできる限り仕分けして荷台に乗せていく。問題は、泥だらけになった畳で、水を吸ってものすごく重くなっていた。グループメンバー総出でひとつの畳を持ち上げて、猫車も使いつつ皆でトラックまで運び込んでいく。地面はぬかるんでいて靴は泥だらけになり、人によっては全身泥だらけになっていた(雨の日などはさらに大変だと思うので、やはり長靴と着替えは必須だろう)。

現場である程度作業したところで正午となり、30分ほどの昼休憩をとった。持ってきたお茶とコロッケパンを食べ、他の参加者の人たちと少し会話をする。ブラブラ周囲を散歩してみたが、どこもかしこも壊れ、崩れ、元の形を失っていた。昼食後、すぐに作業を再開して引き続き廃棄物を積み込んでいく。

一通りゴミを積み終えて、再び災害ゴミの仮置き場へと戻る。重い畳を何枚も積んで重くなった軽トラで山道を走る。明らかに行きとは違うエンジン音がした。仮置き場では、駐在の作業員に仕分け方を教えてもらいながら少しずつ移動してゴミを捨てていった。金属製の運動器具や、鏡など、よくわからないものも多かったが、概ねすべて引き取ってもらうことができた。

時間があればもう一往復したかったが、ゴミ置き場は15時までに受付をする必要があることから、難しいと判断してボランティアセンターに戻る。14時過ぎにセンターに戻り16時ごろに来るというバスを待つことになった。ご自由にお持ちください、と書かれた段ボールにスポーツドリンクやお茶が入っており、せっかくなので一本もらった。

センターのパイプ椅子でのんびりしていると、同じグループだった参加者に話しかけられ身の上話を交わす。どうやら福井の大学職員らしく、同じ大学の教員と一緒に参加したのだという。そして、なぜかこの二人と記念撮影することになった——帰りのバスの離れた席からLINEで、二人に挟まれぎこちなく笑う私の写真を送られてきて、少し愉快であった。ボランティア中は、プライバシーの問題などもあり基本的には現場で写真を撮ることなどが禁止だったので、私にとって貴重な写真となった。

福井への帰路(3月11日16–20時30分)

帰りのバスも行きと同じ道を通って戻っていく。疲れてウトウトしながら、時折くる地面の凹凸による衝撃で目を覚ますことを繰り返していた。途中で二度サービスエリアに立ち寄り飲み物や食べ物を補給しながら、予定通り20時半頃には福井県立大学の駐車場へと戻ることができた。バスから降りるとき、運転手が労いの言葉をかけてくれた。運転手にとっても大変な道のりだっただろうと思う。

バスを降りて参加者たちが解散していく。歩きで集合場所まで来ているのは私だけで、他はみな車に乗り込んで去っていった。私は早朝と同じ道を歩いてホテルにもどる。21時前にはホテルに到着しホテルの食堂で1杯のビールとボルガライス(福井のご当地グルメらしい)を食べた、シャワーを浴び、就寝した。

感想

災害ボランティアに参加してみたものの、大したことはできなかったように思う。重機を操縦できるわけでもなければ、軽トラさえ運転できない。ただ皆と一緒に重い畳や瓦礫を持ち上げて、次の日には筋肉痛になっていただけであった。私にできたことは微々たるもので、甚大な災害にとって無に等しい働きだったかもしれない。

だがおそらく、そうした無力感とこそ戦わなければいけないのだろう。もちろん軽トラくらい運転できるようにはなりたいと思うが、自分にできることを諦めてはならないとも思う。何もできないということはおそらくあり得ず、どんなに小さくても何かができる。

帰りのバスから外を眺めていたら、夕日と曇り空で、夢のような雰囲気に包まれた七尾北湾を見ることができた。とても美しい景色だった。軽トラを運転してくれたおじさんは、この場所の復興には何年もかかるだろうと言っていたが、もしその日が来たならば改めて観光に訪れたいと思う。それまでにまた、ボランティアとして手伝いに行くこともあるかもしれない。

最後に私自身の考えを少しだけ書いておきたい。

1755年にポルトガルリスボン付近を震源とする大地震が起きた。津波による被害も含めて数万人が亡くなったという。次の年、ヴォルテールは「リスボン地震に寄せる詩」を発表している。

おお、不幸な人間たち、おお、呪われた地球
おお、死すべき者たちの恐ろしい群
「すべては善である」と唱える歪んだ哲学者よ
来い、すさまじい破壊の様子をよーく見るがいい

ヴォルテールリスボン地震に寄せる詩」光文社古典新訳文庫, 2015, 232頁

歪んだ哲学者とは17世紀の著名な哲学者ライプニッツのことである。この世界は最善であり、この世に生じる悪はすべて善への義性であるという最善説を唱えたライプニッツに対する、ヴォルテールの痛烈な批判が上の引用である。ある意味ではこの批判は正しいと思う。

だが、ライプニッツはそうした善を手放しで信じていたわけではない。たしかに、この世界は最善だとライプニッツは述べていたが、それは他でもなく私たちが現に生きているこの世界のことであった。私たちは自分が善いと思うことをするしかない。そうした行いがどんなものであれ、それらがこの世界を最善へと導くものだというのがライプニッツの最善説であった。最初からこの世界が最善なのではなく、私たちの振る舞いとともに最善の世界が作り上げられていくのである。

私はこの世界の向かう先が最善であるのかどうかを知らない。頑張れば必ず善い世界が訪れるとも思っていない。それでも、他の人のために何かをしたいと思ったならば、自分自身が善いと思うことを行うしかないだろう——各々の善が一般には「悪」と呼ばれることもあるかもしれないとしても。そうした各自の善の積み重ね以外には世界の善性はないのだと、私は信じている。